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中空構造日本の深層 河合隼雄

心理学

 河合隼雄(1928-2007)さんは、ユング派の心理学者です。有名な方ですので、名前は聞いたことがある人も多いか、と思いますが、著作に触れたことはない、という方もけっこういらっしゃると思います。

  ぼくが最初に読んだ河合隼雄の著作が、今回取り上げる『中空構造日本の深層』(1982)です。実はこの著作は、単行本として出版されたのは1982年のことで、ぼくが読んだのは、90年代の終わり頃なので、よく覚えていますけど、そのとき新刊の文庫で出ていたんですね。つまり、ぼくはかなり遅れてこの著作に接したのですが、まったく古びていないな、という感想をまず持ちました。そして、今更ながらこの本が、とうに21世紀になった今読んでも全然古びていないどころか、まるでこの現代の「不安の時代」のために書かれたようなそんな内容の本なので、ちょっと驚いたんです。

 ぼくが河合隼雄という人の存在を知ったのは、村上春樹さんと対談していたこの本でした。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

 

   村上春樹さんが『ねじまき鳥クロニクル』を執筆された後くらいに対談された時期のもので、はっきりいって、この本自体はあまり面白くないです笑。物語は有効か? という論点にわりと絞られた内容ですけども。とりあえず、河合さんの本を、なにか一作手にしてみたらどうかな、と思います。病んでいる人も多い、心の時代です。河合さんで、いちばん読まれているのは、この著作じゃないかな、と思います。ぼくもこれすぐに読みましたね。

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)

 

 

 中空構造日本の深層

 今回は、引用もせずに、感想文的に大雑把に書きます。

 ぼくが思うに、河合隼雄という心理学者の特徴は、ユングの真相に迫るとか、心理学を追求する、といったことではなく、ぼくたちが生きるこの「日本」において、いかに心理学が有効性を持つものであるか、を説いたところにあると思っています。そういう意味では、苛酷な労働者の現実と対峙したからこそ、あの『資本論』を書いたマルクスと姿勢は似ていますね。つまり、リアリストなんです。しかし、扱っているものは、神話や物語といったものが多い。それを借用するだけではなし、その歴史性にまで肉薄して、心理学を追求しているのが、彼独特の方法意識です。これはどういったことか。この著作も、その例に漏れない河合ワールドの炸裂した世界観を醸し出した名著だと思います。

中空構造日本の深層 (中公文庫)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

 

 この著作は、大きく内容は三つに分かれています。一部は〝中空構造〟としての日本を神話的に捉えた少々晦渋な論文で、二部は「物語」(童話や御伽噺)を素材にしたエッセイ、三部は漫画や家庭内暴力など、現代の日本の実態についてコメントしたものです。

 ここで河合隼雄は、神話の原理を借りて、日本の実態を心理学的に解き明かそうとしようとしているわけですが、その点から考慮するなら、実は真相的にはこの本には大したことは書かれていない、ということになると、まあ、ぼくはいってしまいます。著者もそれを十分に承知の上です。重要なのは、「日本」という深層心理を読み砕くのに、一枚岩では無理な問題であることを承知の上、限りなく慎重にそれを探求している点が、この著作の、そして河合隼雄という人の魅力だということです。

 例えば、ここで河合は、心理学者らしく〝意識化〟=〝意識下〟ということを述べますが、日本を解明するに単純な(西洋的な)〝意識〟では駄目であって、ある種の〝無意識〟を擁護しなければならない、と執拗にいっています。だからといって〝意識〟することを決して捨て去ろうともしていない。意識/無意識の矛盾から、論を出発させています。

 ここに「日本」と、西洋で生まれたはずの「心理学」との、ギリギリの格闘が見て取れるのは明白です。それは西洋的基盤の上で成り立ってきた「近代日本」を述べるに実に巧みな論法、その細かな神経戦を繰り広げているのが見てとれるんです。

 ぼくがこの著作で、特に面白いと思うのは、表題の日本の「中空構造」を述べた文章で、そこで「中空構造」を基盤にして発展してきた、その日本の〝危機〟が、まあいわば単純に述べられているんですけれど、その「中空構造」という実態のない、非中心の日本的素質を、〝意識化〟するところからまず始めなければならい、ということを述べている中で、河合はまず性急な「父権復興論」に否定的な見解を述べているところです。繰り返し述べられるように、日本はその中心のなさ故だからこそだと思いますが、欧米には信じられない近代的発展、経済的復興の仕方を見せましたけれど、それが停滞するとき、逆にその素質が仇となり、急激な孤立化、影響過多、そして崩壊へと傾れ込んでいく傾向がある。ぼくたちの「不安」の源泉がどこにあるのか、ここから読みとれてくるものがある気がしないでしょうか?

 

 河合隼雄という心理学者

 心理学者河合隼雄は、その日本の性質ではなく、自らの祖国の性質そのものを何も理解しようとしていない、それらの者たちに対して、警鐘を鳴らすことにためらいを覚えませんでした。世界史的に、現在、既にイデオロギーによる対立の時代は終わったように見えますが、その暗く翳った歴史の健全/腐敗が、再び別の形ある実態として影を映してしまうことは明白であり、それを童話の神話的思考によって、歴史の普遍的原理を解き明かそうとする、ここで述べられているような河合の論考が、このうえなく貴重だ、とぼくは思ってやみません。

  なぜ人間は物語を必要としてきたのか。あらゆる意味づけがそこには可能ですが、疑問として投げかけられ、継続される「非意味」だけが、人々に変化を要求し、ぼくたちは未来を見据えることができるということです。

 ぼくは河合隼雄の本はけっこう読んでいるんですけど、ファースト・インパクトということもあってか、個人的にこの著作が入門には最も適しているように思えます。神話や物語が心理学とリンクするヴィヴィットな思考の痕跡が読み取れます。内容もとてもわかりやすく、読みものとして単純に面白いです。心理学や哲学、というと、すぐに「悩みのこたえ」を性急に求める読者が多いですが、人生に解答などありません。重要なのは可能性であり、それを問いつづけることです。

 この本にはとりわけ河合隼雄という人の姿勢が赤裸々に現れているなあ、と思えてなりません。再読してみたんですけど、沢山線を引いてあって、書き込みをしてあります笑 そうだ、そうだ、と頷きながら読んだ記憶が、つい昨日のことのように頭を過っていきました。

 ここには〝常識(既知)〟だけが述べられています。しかし、それを忘れてしまっている人間が、現在いかに多いことか。ぼくたちは人間以上のものに絶えずなろうとして、本来の〝人間(通俗)〟であることを忘れてしまっている、そう河合隼雄の声が、はっきりと天国から聞こえてくるようです。