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黒い眼のオペラ ツァイ・ミンリャン 蔡明亮

 

 1980年代の終わり頃から、台湾という国が映画大国として一躍脚光を浴びることになりました。世界的に大々的に紹介された最初の作品はヴェネツィアで金獅子賞を受賞した侯孝賢の『非情城市』(1989)だったと思います。それからもうひとりの台湾の天才監督、故エドワード・ヤンの傑作『牯嶺街少年殺人事件』(1991)が上映されて、この国がアメリカ、フランス、イタリア、ドイツ、ロシア、日本などと並ぶ、いや、それ以上の映画大国であることを全世界に知らしめたわけでした。
 ツァイ・ミンリャンはそれら台湾ニューウェーブを代表するふたりの巨匠から、少し遅れた頃に現れた監督です。『青春神話』(1992)から、これまでに10本の作品を撮っています。残念ながら10作目の『郊遊ピクニック』(2013)を最後に監督業は引退すると宣言しました。彼の映画がある種カルト的人気を博したのは、台湾でもヒットした『西瓜』(2005)辺りじゃないかなと僕は思いますが、これはどこのレンタル店でも置いてあるはずです、日本のアダルトビデオをモチーフにしています。僕はこれはあまり好きじゃないです。

 

黒い眼のオペラ [DVD]

黒い眼のオペラ [DVD]

 

 

原題 黒眼圏 / I DON'T WANT TO SLEEP ALONE
監督・脚本 ツァイ・ミンリャン
製作総指揮 サイモン・フィールド 、 キース・グリフィス 、 バウター・バレンドレクト 、 マイケル・J・ワーナー 撮影 リャオ・ペンロン 美術 リー・ティエンジェ 録音 ドゥ・ドゥチー 、 タン・シアンジュー 編集 チェン・スンチャン 
出演 リー・カーション チェン・シャンチー ノーマ・アトン パーリー・チュア
製作年 2006 製作国 台湾 フランス オーストリア 配給 プレノンアッシュ 上映時間 118分

 

 僕が最初にミンリャンの映画で観た作品は『河』(1997)で、淀川長治さんが講演かなにかでしゃべっているのを読んだんです、それで、とにかくこれに衝撃を受けた。首が曲がってしまう男の人の話なんですけども、ストーリーはそれだけ。最初、なんだこの味もそっけもない画面作りは、と思っていたら、だんだん凄いことになっていくわけで、観終わって、放心していた。それまでの映画とはまったく違う風貌があったのです。
 初期の頃はかなりソリッドでわりときちんとしたっていったら変だけど、ヴェネチア侯孝賢に次いで金獅子を受賞した『愛情萬歳』(1994)とかはけっこうユーモアに満ちたところもあって、従来の演出的な手法で映画を撮っていたと思います。これはイランのアッバス・キアロスタミなんかもそうですけど、いきなり『友達のうちはどこ?』(1987)のような傑作を撮ったわけじゃない。ミンリャンの映画は、基本的には色調はそっけなくて、グロテスクで、台湾のじめじめした風土と相まって、湿っぽい印象が特徴的です。
 本当は『河』とか、『HOLE』(1998)とかのことをここで書きたかったんですけれど、DVD化されてないんですね。権利の問題でしょう。この『黒い眼のオペラ』は、『落日』(2003)『西瓜』(2005)のあと、わりと集大成的にというか、僕から見たら、初期の頃のミンリャンに戻ったというか、なおかつ技術的に精度の高い地点を目指して、隙のない傑作にしあがっているもので、これがいいかな、と。結局僕はこの作品がいちばん好きかもしれないです。多くのレンタル店にもおいてあると思うので、この作品について書こうかなと思いました。

 

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 黒い眼のオペラ
 ツァイ・ミンリャンの映画にいつも出てくる俳優さんに、リー・カンションっていう人がいます。この作品でも主人公です。すごくいい役者さんです。
 賭博でちょっと諍いを起こしたカーション演じるシャオカンが傷だらけで路頭をさ迷うところから映画ははじまります。妙な男たちに助けられるのですが、なぜか彼らがシートを持ち歩いています(笑。ラワンという男に手厚い看護を受けて彼は元気になっていくんですが、もうひとりシャンチーという食堂で働く重要な女性が出てきます。この三人がそれぞれに微妙な距離感で互いを見つめあっていき、ストーリーが深まっていきます。
 副題はI DON'T WANT TO SLEEP ALONEといって、というか、こっちがこの映画のテーマをいいあてているタイトルで、黒い眼はいいんですけど、なんでオペラなんて邦題にしちゃったのか、まあ、間違ってはいませんけど。
 作品内にはなにやら近未来的な廃墟のムードも漂っています。濃い霧が立ち込めて、暗く、湿っている。台湾に行ったことがある人ならわかると思いますけど、とにかく湿度が高い国です。そして妙な乾きがある。空港を降りたとたん、もわーんと水の匂いがする。そういう風土をいかにもミンリャンは映画にとても上手く吸収していますね。といいながら、この『黒い眼のオペラ』は、舞台はマレーシアなんですが(笑。

 

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 蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)という人はマレーシア出身なんです。20歳のときに台湾に移住してきた、いわゆる外省人ですね。そういう外からの視線というか、冷めた視点で映画を見つめているのは、同じ台湾の外省人の監督であるエドワード・ヤンと通じています。ただ視点はヤン的な「俯瞰」というより、「諦観」といった感じが強いのです。
 ヤンの映画は複眼的、動的、ドライで都会的なんですけれど、ミンリャンのそれは視点が静止している。映画の雰囲気も、同じ狂気を扱っても、なんかじめじめしていて、とにかく内面的で痛ましいのが特徴的です。
 これはロシアの監督ヴィタリー・カネフスキーなんかとも共通しますけれど、結局物語と格闘しているところでリアリズムを成立させている監督さんが多い中、『河』という作品はまさに典型ですけれども、ミンリャンの映画は物語にどれもなっていかないタイプのものです。首が曲がってしまった主人公がだんだんおかしくなる、という話しかないわけで、こんな話で映画になるの? と思うんですけれど、それがすごい映画になっていく。普通にシナリオ書いてもっていったら、ほとんどのプロデューサーは怒鳴り散らすでしょうね(笑。
 ミンリャンの映画は、映画通のような人が見ても、これは傑作、とどこか簡単にはいえないような雰囲気がなんだかあります。常に映画が良質なものに還元されるのを拒んだ、底なしの絶望や戦闘意識が潜んでいます。敢えて俗悪的なものに身を堕しているというか、醜悪的なものに埋没していくというか。初期の『愛情萬歳』なんかは良質といっていい映画なんですけど、そういうところから出ていく。というより、敢えて生臭い人間を見つめる視線に踏みとどまって、演出をしていく。登場人物が物語を生きないのは、その痛ましさゆえです。彼らは物語にならない。なぜなら他者と生きられないからです。
 ミンリャンの作品はどれもそういう人物の孤独のリアリズムを強く凝視しようとした映画です。

 

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 まあ、合わない人は合わないんでしょうけど。僕は本当に好きですね。蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)。
 僕が感ずるに、たぶんミンリャンは『HOLE』辺りでひとつの達成を示したんじゃないかなと思います。これが彼の最高傑作かもしれません。ヴィネツィアやカンヌでは一応評価されたみたいですけれど、興行的には失敗だったようです。
 台湾に行ったときにいろいろ聞いたりしまして、若い人は誰も侯孝賢なんて知らなかったですね(笑。エドワード・ヤンの新作にも客が入っていなかった。かろうじてチェン・ユーシュンの映画はヒットしたみたいですけれど、結局台湾も日本と同じで、それ以上にアメリカ産や国産のわかりやすい映画しか客は入ってないんです。
 新たなスポンサーと共にフランスを舞台に『ふたつの時、ふたりの時間』(2001)という映画を撮ってみたり、大衆に受ける日本のアダルトビデオをモチーフにした『西瓜』のような作品を撮ったりと、まあ、いろいろ逡巡もしたのかなとか思うんですけど、この作品は故郷であるマレーシアを舞台にして、とにかくこれまでの技術力と想像力を結集したように、圧倒的なパワーで戻ってきて映画を撮った。闇の撮り方とか、蛾のシーンがあるんですが――これは偶然の産物らしい――個人的に凄いと思います。

 

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 蔡明亮という映画監督

 貧しさとか、肉親の不仲とか、病気とか、そういうことがミンリャンの映画には常に登場します。絶望的に癒されない痛さが彼の映画には横溢しています。テーマはまさしく孤独です。
 孤独だからこそ他者と交われないし、でも、交わりたいと思っている。それは物語にはならない。映画はただひたすら孤独に淫して人物の内面に沈殿していきます。絶望なんですけれど、どこか優しくて、希望があります。この映画のラストシーンは映画史に残る名シーンでしょう。
『河』の、首が曲がっちゃってどんどん気がふれていく、という――実際にこれは俳優のリー・カンションの身に起こったことであり、それを元にしているとのことです――、そんなアイデアで映画を撮っちゃうミンリャンの映画の力は、圧倒的なリアリズムの強度がもたらした魔法です。どの画面にも得体が知れない気持ち悪さが漂っている。それが心地よくてとても優しいんですね。
 彼は自身がゲイであることを公言しています。そういう資質とも映画の孤独は関係するところがあるかもしれません。

 

  http://www.taipeinavi.com/food/771/
 蔡明亮がプロデュースするカフェが台北にあるらしい。僕は行ったことないですが。

 

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