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檸檬 梶井基次郎

 

 梶井基次郎とは、未完の器ながら、様々な可能性を秘めた傑出した小説家だったことを声を大にしていいたいと思います! 31歳で夭折したこの作家は、尽きせぬテクストを残して、実際「檸檬」、これ1作だけでも、文学史上に燦然とした輝きを残す作品です。梶井の小説の特徴は、一言でいえば〝錯覚〟というものだと僕は思っています。

檸檬 (新潮文庫)

檸檬 (新潮文庫)

 

 

「檸檬」における散策の重要性

 梶井の代表作「檸檬」には、自身の倦怠を紛らわすため、店先で見つけたみすぼらしい何の変哲もない1個の果実に、ビルを爆破してしまうほどの夢想を馳せる主人公の心が描かれています。そこに表されているのは、小さいものが大きなものを転倒させる、という思惑なんですけれども、それが可能なのは、貧しいものに作者が感情移入しているという劣勢の情熱のためではなく、それが不可能ゆえ、彼が何かに急き立てられるように、外へと出るところが実は鍵となっています。
〝彷徨〟が、絶望しきっていた語り手を、1個の檸檬そのものに化してしまうことになっていくわけです。なぜそんなことが起こるのか。

 芥川の小説に「蜜柑」という掌編があるんですが、梶井の「檸檬」は、それと少し似ています。僕は最初に芥川を読んで、あとで梶井の小説を読んだんですが、芥川の作品では「列車」という移動がすごく重要なアイテムとして現れています。散歩の小説といえば川崎長太郎にも通じるものもありますね。そもそも「私小説の本領とは散歩にある」と僕は思っていて、それが壮大になれば、セリーヌやミラーのような彷徨の文学となるし、その起源にはランボーボードレールらの思想がある。
 現実的な大きな革命ではなくとも、極めて内的な小さい錯覚であっても、世界は変化する。それがこういう作家たちの特徴だと思います。梶井が生前に残した短い作品群で活用したものとは、〝散策ゆえの錯覚性〟だったと僕は思っています。

 

「筧の話」「器楽的幻覚」「蒼穹」「闇の絵巻」「のんきな患者」

「筧の話」では、澄んだ水音に耳を澄ましていると、聴覚と視覚とがバラバラになって しまうという奇天烈な感覚が描かれています。このような統合的感覚を失い、夢幻の領域に潜入する作品は、他にも「器楽的幻覚」「蒼穹」「闇の絵巻」など、梶井の基本姿勢と して貫かれています。梶井にしてみれば、露草の青い花だって既に尽きせぬ破壊性を帯び、このとき世界が主人公の内で変容していくのです。
 散策すら難しくなる事態にも、この作家は陥ることがあります。しかし、そこで彼の〝彷徨〟が萎んでしまうわけではないです。
 梶井が唯一商業雑誌に発表した、出世作といえる「のんきな患者」は、寝たきりで咳をするのも難儀とする病床記ですけど、これも「檸檬」同様の、〝彷徨小説〟だといえます。

「のんきな患者」で描かれているのは、自分が近づきつつある死に対して、何ものも意味付けしない、という強固な人間の姿勢だといえます。彼は死を、自分を襲った運命的なものではなく、誰にだって訪れる〝平等なもの〟と受け取ります。
 死に傾斜しつつある人間にとってみれば、それは文字通り確かに〝現実〟なのですが、普通弱くなるほど現実から目を逸らし、なにかに頼りたくなるものなのに、彼は檸檬を媒体にして自身の苦脳を解放したのと同じように、死を媒介にして、自身の残酷な「運命」をここで解放しようとするのです。ぼくはこの作品が梶井の最高傑作だと思ってるんですが、傑作だとか、そのような範疇を越えていると思いますね。

 

 梶井基次郎私小説

 梶井は一般的に、私小説作家だとして分類されている作家です。登場したのはちょうど昭和の時代が始まる頃です。先行する芥川や志賀や、ほかの自然主義作家の作品や、もちろん漱石や谷崎なども読んで影響を受けたんだと思います。ただ他の自然主義から流れてきた私小説作家と、そのスタイルが大きく異なると思っています。
 梶井も、他の私小説作家同様「私」を主人公にし、その身辺の生活に題材をとっていますが、自身の生活を詳細に記述することはしませんでした。彼は自然主義作家がとりあげた家族や血縁のことを書いていない。母親のことは書いてあるんですが、血縁=宿命としてはとらえていないのが特徴です。梶井の小説は詩に近いともいわれていますが、彼は平然と、私、と書き、苦しい、と書いた。梶井が、他の私小説作家ができずに、さっさと潜り抜けてしまったことは、何よりこの点だったんではないかと僕は思うんです。

               ※                    ※

 通常の私小説作家は、一般的に思われているような自身の〝苦しみ〟〝哀しみ〟を、直接的に感覚的に訴えるものは、読んでみるとわりあい少ないです。「現実」の出来事に則して、「貧しさ」や「家族の運命」を語ろうとしていきます。それは彼らの自身の苦悩というものが、「現実」に根ざすところものであるということを信じて疑わなかったということでしょう。また自然主義に代表される「文学」そのものを信じていたんだと思います。梶井の「私」、その「苦悩」は、最初から「現実」に根ざしたものと一切が断たれていました。体に蝕む深刻な病が梶井をそうさせたのかもしれませんし、もともとそういう天性の詩人的な素質があったのか、わかりません。梶井が、その苦悩を預けるのは、「生活」ではなく、単純に〝風景〟といったものでした。

 

 季節は冬至に間もなかった。堯の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立っている木々の葉が、一日ごと剥がれてゆく様が見えた。
 ごんごん胡麻は老婆の蓬髪のようになってしまい、霜に美しく灼けた桜の最後の葉がなくなり、欅が風にかさかさ身を震わすごとに隠れていた風景の部分が現われて来た。
 もう暁刻の百舌鳥も来なくなった。そしてある日、屏風のように立ち並んだ樫の木へ鉛色の椋鳥が何百羽と知れず下りた頃から、だんだん霜は鋭くなってきた。
 冬になって堯の肺は疼んだ。落葉が降り留っている井戸端の漆喰へ、洗面のとき吐く痰は、黄緑色からにぶい血の色を出すようになり、時にそれは驚くほど鮮かな紅に冴えた。堯が間借り二階の四畳半で床を離れる時分には、主婦の朝の洗濯は夙うに済んでいて、漆喰は乾いてしまっている。その上へ落ちた痰は水をかけても離れない。堯は金魚の仔でもつまむようにしてそれを土管の口へ持って行くのである。彼は血の痰を見てももうなんの刺戟でもなくなっていた。が、冷澄な空気の底に冴え冴えとした一塊の彩りは、何故かいつもじっと凝視めずにはいられなかった。

                    (「冬の日」 梶井基次郎)

 

城のある町にて」「ある心の風景」「冬の日」などには、いかにもリアリズム風の現実描写が淡々と流れる作風で、これは正しい意味で〝心象風景〟と呼ぶべきものだと僕は思います。

「橡の花」は、いかにも自己暴露的な告白調の手記という体裁をとっていて、これは一見リアリズムに見えるんですが、慎ましやかな日常の描写を連ねたもののように見えながら、「檸檬」同様、厳密にいえば、〝リアリズム=告白〟というものの懐疑が、そのまま作品となっている小説だと僕は思います。
 これらの一連の風景描写を主題とした小説作品が示していることは、〝檸檬〟や〝筧〟などの素材でも象徴的なように、自身の苦悩が現実からもたらされているものゆえ、やはり「現実」の素材を借りなければ、現実を正視しなければ、その錯覚もまた描くことができないという残酷な帰結を帯びながらも、「現実」から離れていることだ、といえるものだと思えます。

〝苦悩〟は直接的には「現実」からもたらされたものじゃない問題としてありながら――梶井の内部から沸き起こっているように思える――、やはり「現実」の中に依存する形でしか表現できない、その「現実」への着地が、また、視線を狭きものにしていく、というスパイラルが起こる。そのとき微妙な変化が起こって、風景、が現れてくるのです。

 傑作と名高い、「ある心の風景」や「冬の日」、或は「冬の蝿」などは、研ぎ澄まされた梶井の精神の痕跡が凄くあり、これらは正しくはユーモア小説というべきものだとも僕は思います。
 梶井の作品を年代的に順に読んでいくと、この辺りで、その精神が疲労困憊していることがわかる。とても苦しそうです。作品に苦しみが満ち溢れている。ここに表れているのは、「現実」の接点を絶たれている〝私〟の、ただただ現実への視線を研ぎ澄ましていく、強迫的な病理的感覚で、自身の心を見つめる強迫的心境を解き放つゆえ、祈りにも似た、風景の連鎖が繋がれていき、筆致がなにやら真に迫ってくるのを覚えずにはいられません。

 

 孤高の作家梶井基次郎

 梶井基次郎は1901年に大阪で生まれました。母親がとても文学好きな人で、梶井の文学的影響は母親からもたらされたものだといわれています。学生時代はかなり破天荒で退廃な生活を送り、文学にのめりこんで、小説を書くようになっていきます。
 当時梶井が生きていた大正から昭和初期の時代は、島崎藤村田山花袋らからはじまった自然主義小説が一段落して、荷風、鏡花、潤一郎らの「耽美派」、芥川らの「新現実派」、直哉や実篤らの「白樺派」、康成や利一の「新感覚派」、そして次第に多喜二らの「プロレタリア文学」が台頭しはじめていく頃です。
 梶井はこれらのどこの範疇にも収まっていません。当時の文壇には認められなかったようです。今文学史に梶井が強く残っているのは、後の作家になった人たち、いわゆる当時の文学青年たちが、いちばん愛読したのが梶井基次郎だったことが大きいのです。
 もうひとり牧野信一という、一風変わった私小説作家も人気があったようですが、――牧野は坂口安吾を見出した師匠にあたる人で、梶井同様重要な作家なんですが、僕はなぜか牧野だけは理解できないです……――孤高の人は同時代に認められることが難しかったのかなとも思います。梶井の小説というのは、とにかく当時やっぱり特異だったんじゃないでしょうか。
 小説はそれが小説であるからには、その内容が何かの〝中心点〟を目指すものにならなければならない。私小説の類には、多くの場合劇的なそんなつくりものめいたドラマ性が否定されているのが特徴ですが、梶井の小説もその方法にしっかり則っているわけですが、一連の心象風景小説の主眼とは、「私」に対する自己批評にあって、そこに現れるのは、何にも依拠しない〝私の心〟というべきものです。梶井は一向に「現実」に根ざさないその行き場のない〝私〟に、耐えつづけていることを書いたように思えます。

               ※                    ※

 梶井が、自身の書くものを随筆や詩ではなく、小説だと思っていた根拠とは、私小説自然主義小説の根っこに、「リアリズム」という根幹が紛れもなく潜んでいる、ということを正しく認識していたからじゃないのかと僕は思うんです。梶井はリアリズムや私小説技法の下地にしながら、自然主義とは違う手法で小説を書いた。
 世界は、実在そのものとしてあるわけではなく、それを視る人間によってはっきりと見えてきます。また描かれる対象がなければ、視点そのものも確立しないし、変容もしない。重要なことは、存在は変化したときにこそ〝存在〟するということです。
 梶井の小説に登場する〝私〟は、その内的な革命を起こすために心を揺り動かす対象物を求めて彷徨します。それが発見されたとき、現実が破れる瞬間が訪れ、或は、風景を淡々と映しながら、それを視ている〝私〟が無化し、風景そのものも自然に帰してしまう。
 梶井が小説家であったのは、そんな「現実」に留まれない内的な普遍性の感情を、連結させる方法でそのまま、「現実」というものの唯物的な存在性として表現してしまったからなんじゃないか、と僕は思います。もちろんこれは比喩や、擬人法などといったありていの方法ではなく、原始的な物質性に言葉が触れるように、感覚的な方法によってです。檸檬の生々しさもそこに理由があります。全ての意味性の剥ぎ取られた唯物的な生々しさに触れるがごとく五感が全開したものがそこにはあり、梶井の小説は、〝フェティッシュの小説〟と呼んでもいいものかもしれないと僕は思います。

 

桜の樹の下には」と「のんきな患者」

 

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。                    (「桜の樹の下には」 梶井基次郎)  

 

 有名な「桜の樹の下には」の出だしです。
 僕が梶井基次郎という作家が好きなのは、彼が漱石や、とりわけ潤一郎の文学的意志を受け継いでいると思えてならないからです。梶井はそれを知的なやりかたではなく、感受性=錯覚によって書こうと試みた。
 彷徨するとき、それは辺りのみすぼらしい路地であっても、実際は壮大な宇宙を巡っていて、桜の樹の下には死体が埋まっているような錯覚もまた迫ってくる。八百屋で買った檸檬に感情移入し、「現実」の意味性は消失し、自身そのものが檸檬そのものに同化してしまう、世界がそこに飲み込まれるほどの、異常性を放ってくる。
 この感覚は、普通の感覚とかなり隔たったものです。視覚の優位を否定し、感覚がバラバラになってしまうそんな感受性は、現実的には危うい感覚のはずなんだけれども、梶井はそれを「幸福」だと書くんですね。

 

 吉田は肺が悪い。寒になって少し寒い日が来たと思ったら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳になってしまった。胸の臓器を全部押し上げて出してしまおうとしているかのような咳をする。四五日経つともうすっかり痩せてしまった。咳もあまりしない。しかしこれは咳が癒ったのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすっかり疲れ切ってしまったからで、彼らが咳をするのを肯んじなくなってしまったかららしい。それにもう一つは心臓がひどく弱ってしまって、一度咳をしてそれを乱してしまうと、それを再び鎮めるまでに非常に苦しい目を見なければならない。つまり咳をしなくなったというのは、身体が衰弱してはじめてのときのような元気がなくなってしまったからで、それが証拠には今度はだんだん呼吸困難の度を増して浅薄な呼吸を数多くしなければならなくなって来た。
 病勢がこんなになるまでの間、吉田はこれを人並みの流行性感冒のように思って、またしても「明朝はもう少しよくなっているかもしれない」と思ってはその期待に裏切られたり、今日こそは医者を頼もうかと思ってはむだに辛抱をしたり、いつまでもひどい息切れを冒しては便所へ通ったり、そんな本能的な受身なことばかりやっていた。そしてやっと医者を迎えた頃には、もうげっそり頬もこけてしまって、身動きもできなくなり、二三日のうちにははや褥瘡のようなものまでができかかって来るという弱り方であった。ある日はしきりに「こうっと」「こうっと」というようなことをほとんど一日言っている。かと思うと「不安や」「不安や」と弱々しい声を出して訴えることもある。そういうときはきまって夜で、どこから来るともしれない不安が吉田の弱り切った神経を堪らなくするのであった。     (「のんきな患者」 梶井基次郎)

 

 「のんきな患者」の出だしですが、読むと、とても苦しそうなんですけれど、どこかユーモアがあります。僕は梶井のこの作品が大好きなんです。
 梶井の小説は、同一性を差異へと還元し、現実を異空間へと変容させるというのではなく、最初から差異や異空間を投げだしているように見えます。その小説が、一見狭き印象を与えるのは、そのような自己の自己に対する違和感が、過剰なほど作品を埋め尽くし、最初から際立つ作品世界を作り上げているためでしょう。彼は、明かに小説というものがどのようなものであるのか明確に理解して、筆を取り始めた作家だったと僕は思います。

 

 感受性の作家梶井基次郎

 この病理的なほど神経が研ぎ澄まされ、感受性の強かった作家には、「現実」などというものは、少しも信用されていなかったんじゃないか、と思います。といって〝私〟の視点に留まることも彼はしなかった。日常の辛苦は、間違いなく何処かに解放されなければならない。そして「私」の苦悩が、大きければ大きいほど、またそれは卑小な「現実」を逃れていく。
 梶井が編み出した文学とは、〝私〟が起因するべき「現実」のことを書くことではなく、〝私〟が帰結していくべき「現実」を書いてしまうことであったように思います。結果的に、そこに「現実」を象徴化させ、相対化し、唯物的生々しさを浮き上がらせるほどの視点が砥ぎ澄まされ、「現実」を転倒させる〝彷徨ゆえの錯覚〟が導きだされた。

 梶井基次郎は書簡を合わせても全集で3巻にも足りません。けれども、志賀直哉から持ち越された〝心境小説〟の波を、一歩踏み出したものを描いたのは、「檸檬」を書いた、まさしくこの夭折の作家だった、と僕には思えてならないです。志賀直哉が優れた散文家であるなら、梶井は詩人です。この優れた作家がなければ、後の吉行淳之介も、安岡章太郎も、「小銃」を書いた小島信夫も間違いなくいなかったはずだと思います。