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業苦・崖の下 嘉村磯多

 

「破滅型」の作家の代表格である嘉村磯多の作品集です。僕は自然主義の小説(私小説)はあまり好きじゃないんですけれど、とにかく嘉村磯多の作品は文章が素晴らしいので、内容がどうであれ、文章だけでも読ませてしまうというよさもあると思います。そして幾つかの作品は、文学的に確かにとても貴重なテクストだと思っています。なにより、これだけ後味の悪い作品というものも珍しいのです。

 私小説の起源は、島崎藤村田山花袋の作品にあるといわれます。彼らは日常の醜悪な「私」を描くことが真実の探求であるとし、結果的に、自身の生活を嘘偽りなく活写することがその文学となっていきました。嘉村磯多も、ご多分に漏れずにその〝近代的愚行〟を誰よりも実践した作家なのですが、磯多の御師匠さんにあたる葛西善蔵という人がいて、彼もまたとても重要です。文学史的にふたりはよくひとくくりにされて語られることが多いです。そのようなさらなる愚行の躍進において、花袋や、或いは島崎藤村が示した作風とはまた違った、一歩踏みだしたリアリズム小説の領域をふたりは切り開いたからです。
 善蔵や磯多らの仕事を、端的にいってしまうなら、「私」を追い求める余りの、求道的過ぎる姿勢における文学というものかと僕は思います。生活そのものが文学となり、「私」という奇形性を描いてしまった文学、といってしまってもよいものです。

 

業苦・崖の下 (講談社文芸文庫)

業苦・崖の下 (講談社文芸文庫)

 

 

 嘉村磯多の処女願望について

 嘉村磯多の処女作は「業苦」という作品です。ここには、故郷に妻子を残し愛人と東京に出てきて、その日暮らしをしている作者のことが素直なタッチで描かれてあります。言葉に性急さはなく、暗い心の翳りもまだ見当たりません。ただ、なぜこんなことになってしまったのか、という核心に触れていくことが、この作品に宿る異常性を色濃くしていくものがあると思います。

 主人公である圭一郎は、故郷の女房と別れ、千登世という女性と駆け落ちしてきました。彼が妻と別れた理由は、彼女が〝処女ではなかった〟からです。
 生娘じゃなかった! と家を飛び出してきてしまったわけです。これを作者の偏執的な〝処女願望〟と片付けてしまえば、まあそういう潔癖な人だ、昔の田舎の人だ、と思えなくもないのですが、これはただそんな作者の趣味嗜好を描いた偏執傾向が強い作品には留まらないのです。
 彼は異常性格者でもなければ、変態でもないのです。処女願望はなにより嘉村磯多の最も重要な文学的テーマだからです。

               ※               ※

 嘉村磯多は処女でなかった妻をなじり処女であった千登世と一緒になり、東京に出てきました。小説家になりたいという野心もあったからです。彼が〝処女〟に拘るのは、彼が小説を書きたいと拘ること、本当の私小説を書きたいと欲求することと、どこか繋がるものがあります。

 磯多の小説とは、自分のすべての現実を「醜悪」なものとして位置付けていく性格があります。常に現在の「私」であることにいらだちを募らせているその作者思しき主人公は、不安感を癒すために、求道的になっていきます。何か確かなものを、純潔なものを、真実を、その手に掴みたいと思っています。真実の〝私〟を立脚しなければならない。彼は過去の自分を否定するわけです。処女願望を抱くのです。それだけではなく、彼は実際に処女ではなかった妻を見捨ててしまうに至ります。
 磯多はほかの事柄に関しても、様々な理由づけをして、自身の人生をどんどん歪曲させていきます。彼は母親に優しくされなかったと思っており、自分の色黒い背の低い容貌にコンプレックスを持っていたと書いています。彼はそれらの「現実の自分」に対して、どんどん否定的になっていきます。故郷に対して否定的になり、出生、家族、過去、それらのものに対して、どんどん排他的になっていきます。
 全く新たに自分を白紙の状態からはじめようとします。磯多の強い処女願望もまた、ここからきているとみてよいと思います。
 つまり「出生」を否定するゆえに、彼は過去を認められず、新しい自分に常になろうとするわけです。
 これを単純に「プラトニック」や「神聖」というありていな見解で片付けることはできないのです。磯多の願望とは、この文庫本の解説の秋山駿氏がいっているように、自分だけに関してはそのようなわがままを幾らか望んでもバチはあたらないだろう、という理由なき根拠の上に立つものであり、それは甘えを通り越して世界に対しての呪詛的な叫びにさえなっていくのです。
 一見世間から落ち零れているようなこの嘉村磯多という人物は、一方で実は凄く真っ当な人間だということが、そしてわかってくるのです。誰だって、こんな風な気持ちになるときがあるものです。年とった奥さんと別れて、若い女と一緒になりたい。産まれた子供をいっそ殺してしまおうか。これらの感情自体は決して異常なことではないのです。しかし、〝異常〟であるのは、磯多がそれを実際に「現実化」し、それを「私」として小説に書いたということです。

 

「途上」にいたるまで

 

 しかし、何うしためぐり合せか私には不運が続いた。ころべば糞の上とか言ふ、この地方の譬へ通りに。初夏の赤い太陽が高い山の端に傾いた夕方、私は浴場を出て手拭をさげたまゝ寄宿舎の裏庭を横切つてゐると、青葉にかこまれたそこのテニス・コートでぽんぽんボールを打つてゐた一年生に誘ひ込まれ、私は滅多になく躁いで産れてはじめてラケットを手にした。無論直ぐ仲間をはづれて室に戻つたが、ところで其晩雨が降り、コートに打つちやり放しになつてゐたネットとラケットとが濡れそびれて台なしになつた。そこで庭球部から凄い苦情が出て、さあ誰が昨日最後にラケットを握つたかを虱つぶしに突きつめられた果、私の不注意といふことになり、頬の肉が硬直して申し開きの出来ない私を庭球部の幹部が舎監室に引つ張つて行き、有無なく私は川島先生に始末書を書かされた上、したゝか説法を喰つてしまつた。
     (「途上」 嘉村磯多)

 

 

 本来、日本の自然主義小説とは、「ありのまま」描くことを差し、多くの私小説作家がその愚行を実践しました。磯多の書き方で特徴的なのは、彼が過去に多くの言葉を費やすことだと僕は思います。そのリアリズムの基調である叙事的時間性=ありのままらしさ、を彼は打ち破ってしまっています。
「父となる日」「孤独」「牡丹雪」などの作品は、磯多自身の過去がテーマになっていて、ここに表れる、中学を退学して一人母屋に閉じ篭もることの多い夫は、生まれてくる我が子を呪い、ひたすら妻に甘えようとするのですが、誰にも会わず、妻には暴力を振るい、家では傲慢な限りを尽くすこの人間は、弟の嫁に恋慕を持ち、そのような若い奥さんを貰う事態に狂おしい嫉妬を燃やし、彼らの結婚式には出席しない、とさらにわがままをいいだします。 
業苦」や「崖の下」などのタッチは、読みやすく、「現実」に根ざすところの自身の苦悩を、正しく結晶化しようとする作家の野心がしっかりと見えてナイーブなんですが、これら過去の事柄を描く小説において、だんだんと磯多のいびつな文学的傾向が顕著になってきはじめます。磯多の文学的独自性が際立ってくるのです。
「途上」は磯多の代表作なんですが、〝嘉村節〟とでも呼べるひとつの小説のスタイルが、ここにでき上がっていると僕は思います。
 この作品によって磯多は文壇に認められることになりました。ここには後の太宰治安岡章太郎にも通じるある種の私小説のスタイルがあり、ありのままを描くことは自己暴露や醜悪を露呈するために描かれるのではなく、逆で、「自己」を否定するために用いられているのです。たとえば〝幸福の不可能性〟という、いかにも私小説作家っぽい言葉がここには出てきます。

 

「途上」について

「途上」の主人公は少年期特有の学友たちの苛めの闘争に疲れ果て、学校を中途で止めてしまう磯多がモデルの人物です。彼は篭りきりの生活をするようになっていくのですが、現在の彼は、そんな過去の自分を回想しながら、その時の自分と何も変わらないということにはたと気づきます。「過去」とは、磯多にとって時間の概念を忘却させ、常に不幸に呼び戻す、心の泥濘です。
 何をやっても俺という人間はダメだ、だから俺はダメだ、過去は彼にとっては宿命的な不幸の刻印としてますます感じられていきます。ここに奇妙な逆転劇が起こっていることに気づくはずです。実際過去に何かがあったから、彼は不幸なのではなく、「途上」に描かれた中学時代の磯多の思い出は、実際にそのようには小説内で活用されていなくて、自身の理由なき不幸を説明するために、あらゆる過去という過去が利用されているという感じなのです。

 つまり嘉村磯多の「過去という現実」は、現在の彼の屈折した曲解の不幸からもたらされた所産であるに過ぎず、あるいは、現実の彼にしても不幸でもなんでもないかもしれません。今彼は自分の不幸の理由を見つけるために、過去の事柄を見つけ出して、ほらやっぱり不幸だ、不幸だ、とそういうのです。ここで重要なのは、磯多が小説を書きたいと思っている、というそのことです。彼が自分を不幸にしたいのは、小説を書きたいからなんです。小説に書くべき自然主義的な意味での醜悪な私が必要だからです。磯多は自身の人生のすべての軌跡を不幸色に塗り固めてしまおうとしていきます。

「現在」のことを磯多が書く場合、それは何ら〝ドラマ〟を発生させるものではありません。〝ドラマ〟とは結果から見られたときにだけ、それは出来事になるのですが、ここに多くの私小説作家同様、劇的なドラマを描こうなどという気概はやはり、嘉村磯多にも見当たりません。必要なのは出来事ではなく、私小説作家の野望は、〝私〟を発生させることで、無論、「現実」に根ざした〝私〟は存在しませんし、「現実」に根ざさないからこそ、〝私〟は「現実」を求めるのです。既に私小説作家には、この本末転倒が見えない。
 磯多が「過去」へと遡行するとき、そこに何らドラマを発生させない、と同時に、そこにはただ濃密な〝私〟を生みだそうとすることによって「現在」「過去」という枠組みによってもたらされた定石の〝悲劇〟という「意味」も、破壊してしまうようにさえ読めてくる。そして実はそこに潜むものが、単なる〝わがまま〟だというのは、いったいどういうことなのだろうか。ここに、西洋的文脈とは異質な、日本の近代的自我の奇形的な文学が表現されています。このような文学作品がひとつの日本近代小説の極北であることは、実際間違いないのです。

 

 自然主義小説と嘉村磯多

 身の回りのぐだぐだを書いた雑記が、日本では立派な文学であるとされてきた理由は、なぜか。それが私小説です。人間の姿を作家が赤裸々に描く。その保証になるものは、その異常さが現れてくる過程を作家が作品に書くことで〝私〟が現れてくる、と信じられていたことにほかなりません。
 しかし近親者と性的な関係を結ぼうが、借金で首がまわらなくなろうが、自殺未遂をしようが、それを暴露することに人間の本質があるのかどうか、どうも疑わしい。そもそもそういうことは人間らしいことであることかもしれませんが、書くに値する人間の本質なのか、誰にもわからないのです。当人には深刻な問題なのはわかりますが、はっきりいって謎です。
 処女である女性を手に入れたところで、満たされるはずはない。それは本当に人間の本質の問題か? 〝私〟は必死に「私」であろうとします。そしてそれはその「現実」に根ざす〝私〟という無根拠さを、自虐的に暴露してしまうに至ります。さらに「過去」を求め、〝現在〟を否定します。実は磯多もわかっているわけです。しかし、敢えて私小説作家は、その〝破滅〟へ向って突き進んでいくのです。  

 

 私の不可能性と嘉村磯多  

 この代表作を集めた嘉村磯多の作品集は、彼が〝処女〟の千登世と東京に駆け落ちし、宙ぶらりんの生活を送りながら、ようやく自分の書いたものが世の中に認められる頃のことまでが、ほぼ年代順に並べられています。年齢でいえば、作者の三十代前半の頃のことで、磯多は35歳の頃に小説が文壇に認められるようになり、36歳には結核性の腹膜炎で亡くなりました。
 今嘉村磯多という作家を読んでひどく意外だな、と僕が思うのは、言葉もそうですが、作者の心のトーンというものが、常識的で、冷静である、ということに尽きます。ゆえに、作者のわがままが風通しよくストレートに伝わってきて、文学の異常性だけが際立ってくるのです。自然主義の小説がそう思われているような、磯多の作品からは、人間の〝異常性〟や〝悲惨さ〟というものはほとんど伝わってはこない。小説そのものだけが異様に奇形的なものとして、立脚してくるわけです。

               ※               ※

 人間の本心を赤裸々に描くという自然主義のリアリズム文学観は、文学的に正しいかどうかは別として、良いも悪いも心というものが 矛盾したものであるからこそ、それを放出するのが〝暴露〟というものであるという前提の上に立つものでした。
 嘉村磯多のような作家の作品を見ると、その「錯覚」そのものが、さらにもう一段違った次元へ移行して、「近代小説」そのものが別の奇形さを獲得したことがわかります。
「私」を描くにつれ、それは〝私〟を「現実」に根ざすことが目標になるのではなく、その不可能性に起こる〝苦しみ〟に、目標が定められるようになっていく。太宰治のような作家もそうでした。磯多もこの軌道に素早く便乗してしまった象徴的な作家でした。私小説作家というものは、この本来現実的には有り得ない不可能事を、バカ正直的にというか、純粋に実践してしまった人たちなのです。

〝私〟を「現実」に位置付けることはそもそも不可能なことであり、「現実」を否定することも不可能なことです。本当の自分を逃れて、自己が自己で有り得ない苦しみに耽溺していくほうが、本来はずっと容易なことです。〝現実〟から顔を背け、本当の悲惨 さには眼を瞑って、自己の〝苦しみ〟を浄化するために、自分の我儘を作品に書くということを、しかし、磯多という作家はやりつづけた。

 それが「作品」という、一つの「否定されるべき現実」になるということはまさしくリアリズム小説が持ち得た「方法意識」に違いなもいのであって、これは近代小説のひとつ本質なのです。私小説が困難を極めた文学であるのは、作者が作品を実在せしめるためにひたすら業苦に耐え、不幸を引き寄せるんですけども、彼は内心本当の〝私〟を追い求めながらも、どこかで現実の「私」などずっと有り得なければい い、とさえ思っているのです。
 嘉村磯多の小説の方法的特徴は、常に回想へと記述を向かわせることに、焦点が絞られると ころにありました。彼がそこに過去のことを書き殴るのは、不憫だった事柄を書き、それで読者に憐れんでもらおうとしたからでは無論ありません。自己の所在を明確にしようとするものでもありません。宿命でもなんでもない、それを宿命として「言語化」しようとすることに野心があったわけです。

 そこに感じられるのは、結果的に単純な〝わがまま〟であるのは、果たして、これらの事柄が、いったい文学というものが、何を生み出したといえるのか。
 自然主義的な形式に多分に引きずられた感がある嘉村磯多という小説家は、いろんな意味で愚直な人間だったと僕は思えてなりません。実際に彼はひどく純粋であり過ぎたからこそ、このような作品を生むに至ったのかもしれません。

 

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