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抱擁家族 小島信夫

日本近代小説

 

 戦後以降に登場した日本の作家でいちばん優れた人が小島信夫だと個人的には思っているんですが、――あくまで僕の意見ですので――、小島信夫の最も代表的なのがこの『抱擁家族』(1965)で、戦後文学史にとっても間違いなく重要な作品で、これを論じた文芸批評家の江藤淳の『成熟と喪失』(1967)もとても有名です。
 しかし小島信夫にとって『抱擁家族』は、ひとつの通過点に過ぎません。

 

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

 

 

 この小説は最初、「いつかまた笑顔を」というタイトルで書き始められて、一度途中で放棄され、その何年か後にこの今ある長編として纏め上げられたようです。
 小説はオーソドックスな起承転結の四つの章に分かれています。
 一章は、妻である時子の不祥事が発覚し、家族の平和が壊れそうになることが語られています。その事件によって、夫、三輪俊介は長らく忘れていた妻や家族に対する愛情を取り戻すことになり、しかし、二章で、俊介が不義を働いた時子を責めながら、頑なに家族を守ろうとしていく果て、三章では、その甲斐なく、妻は癌が進行して死んでしまいます。四章では、再び家について奔走しはじめる俊介が描かれていきます。

 なんだかこう書くと、安易な設定のドラマみたいなノリですが、これは実際に小島信夫自身に起こった出来事です。つまりこの作品は私小説です。小説のテーマは、狂気、です。

 

 ユーモア文学としての『抱擁家族

 

 はじめて時子と知り合った頃、時子はチャールストンを下宿の畳の上で、俊介にやってみせたことがあった。俊介はそれを思いだしながら、外人の踊るのを、つったって眺めていた。もともとあのヘンリーに遊びにくるようにいったのであった。それなのにこの青年がくるようになった。この男が家へきはじめてから一ヵ月になるが、いつまで続けて来るつもりだろうか。 (『抱擁家族』 小島信夫  講談社文芸文庫)

 

 内容を見てみます。

 妻の時子が浮気をして、それはアメリカ男性ジョージとのあいだの不倫で、夫の俊介はその事件から、自分も以前似たような経験をしたと思い巡らし、長らく海外に滞在したときに妻を伴っていかなった事態なんかをふらふらと思い募らせます。それが小説の最初のあたりで書かれてあります。
 彼の不安は妻との不仲から、やがてなにかはっきりとしない不安へとじょじょに広がっていくようです。関係性そのものが〝崩壊〟を呼び起こすような複雑な気持ちが、彼には湧き上がっていくのがわかります。
 次第に現実的に崩壊していく家庭の出来事が語られていくわけですが、時子が癌になってしまい、彼女は男性ホルモンを注射され、髭を生やしてベッドに横たわります。そこに愛情を感じる俊介の姿は極めて涙ぐましい抒情に浸されて描かれています。

 家族、夫婦、その関係性を上手くやっていくには、それを抱擁する「家」こそが必要だ、ということで、突如俊介は家を新築することを思いつくに至りますが、その家の天井からは水が滴り落ちていき、ヒーターは故障して、結局俊介は、時子とのその〝抱擁〟すべき共通の価値観を努力しても一向に見出すことができません。そしてほどなく妻は死んでしまいます。家族は崩壊していくことになるのです。そしてこの小説はさらに逸脱した雰囲気を帯びていきます。

 妻と浮気をしたアメリカ人のそのジョージ、仕事を怠ったためクビにしたはずの以前の家政婦ちよを、家に招こうという異常な気持ちに俊介は駆り立てられはじめます。だんだんおかしな雰囲気になっていきます。そもそも家族の関係をおかしくしたはずの、その原因を招きよせようとするのです。


 解体されたものとしての私小説

 ちょっと脱線するようですが、芸術論めいたことをいいます。「遠近法」というものが芸術にはあります。ルネサンス期にレオナルド・ダ・ヴィンチが芸術の核心として用いた、以降近代以前までの芸術の決定的となる技法です。小島信夫の小説を読むと、その遠近法を解体する力学が余すところなく用いられているのがよくわかるものがあります。そういう意味で小島信夫の小説は極めて近代小説=前衛小説的だといってよいです。
 遠近法は美術史において次第に解体・脱構築されていくことをすでに僕らは知っていますが(ダ・ヴィンチが用いた遠近法は遠近法とは呼べない、たとえばルネサンス期から遠近法は解体されていた、と美術家の岡崎乾二郎などは書いています。『ルネサンス 経験の条件』 文藝春秋)、遠近法のあとに登場した芸術の方法意識とは、奥行きのない「平面性」といわれるものです。
 平面は、多義的、並列的、といってもいいものですが、それは雑多なものをコラージュしているのじゃなく、遠近法を解体して見えてくるものであるということが重要で、遠近法の発見以前の絵画とは決定的に異質なものです。それらは〝無存在としての消失点〟と緊密に絡まり合って、関係性の網目の中で拮抗しています。

 この『抱擁家族』という作品を読むと、家族というすべての線を交わらせる遠近法の消失点は紛れもなく「家」です。これが無限遠点を露呈させるがごとく、家族という消失点を目指そうとしてしていくほど解体していくことが描かれているのです。

 この消失点を果てしなく追い求めざるを得ない主人公の三輪俊介の強迫こそが、――つまり消失点とは存在しないものなので――、家族が崩壊している要因であるというのが、この小説の鍵です。
 二章、三章と累積されるにしたがって、この浮足立った小説は落ち着いた通俗的な様相を帯びていきますが、時子が癌になるシーンなど、普通ならその〝ヤラセ〟たっぷりの突発的な展開の描き方に、読者は冷めた感情を覚えるはずなんですけれども、そんなふうにはまったく読めません。なぜならこれは小島信夫自身に起こった出来事だからです。遠近法で描かれた事実が、最初からその崩壊過程を内部に孕んでいたかのごとく、徐々にそれが姿を赤裸々に現しはじめていきます。これは「ありのまま」を描いたリアリズムの私小説です。それは消失点を目指しながら、壊れていくのです。


抱擁家族』に描かれた狂気という特異さ

 最初の「いつかまた笑顔を」の部分――つまりこの『抱擁家族』という小説の第一章――など、まったく作者小島信夫の実体験に基づくものじゃないかな、と僕には思えます。
 不倫をした妻に忘れていた欲情を覚えるシーン。夫婦が悪いのは互いのせいだと罵り合い問題を回避していく場面。こういうところはとてもリアルなのです。本当に実際にあった出来事なのでしょう。二章及び三章で病に犯されていく時子の姿が切実に描かれ、安っぽいメロドラマに堕していくようですが、奇異に感じるくらい通俗さに溶け込んでいくその様子は、繰り返しますが、少しも嘘臭くありません。そしてなによりそこには〝癌〟という生々しさがこの作品の内部にすっかり溶け込んでしまった証明にほかならないものがあります。
 この小説の特異さは、四章において激しく飛躍し、狂気へ向かうところで決定的になりますが、遠近法が解体されているため、それはリアリティーを持って迫ってきて、読者は拒むことができません。そしてこの小説におけるその崩壊とは、小説の最初の一行目に、もう実は潜んでいたものだったわけで、これが驚異です。

 三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と。そして最近とくに汚れている、と。
 家の中をほったらかしにして、台所へこもり、朝から茶をのみながら、話したり笑ったりばかりしている。応接間だって昨夜のままだ。清潔好きの妻の時子が、みちよを取締るのを、今日も忘れている。
 自分の家の台所がこんなふうであってはならない。……   (『抱擁家族』/小島信夫 講談社文芸文庫)


 家政婦の〝汚れ〟から書き出されるこの奇妙な小説のはじまりは、ささくれ立った刺や、ナイフのような切れ味抜群の刃物から滴った血ではなく、まさしく「汚れ」であることが絶妙といえます。この家族に実は最初から崩壊は胚胎していたわけで、そんな内部からの破綻をまさにこの作品は表現しえているのです。
 崩壊の原因がなんら意図的ではないように、本質的な解決策もまたありません。抱擁しようとする、その崩壊の建て直しを図ることが、そもそも本当の崩壊の原因といってしまってよいように、小説そのものが解体されていくのが、この『抱擁家族』という小説です。

 

 空前絶後の奇天烈小説

抱擁家族』というこの小説で、小島信夫はいったいなにを書こうとしたか。

 夫である俊介は家族の再建のため家を建てようと必死に試みますが、それは「父性の復権」や「日本的家長としての尊厳」というイメージと結び付けられて、江藤淳をはじめ、この作品を論じた論者たちの多くがいったように、「歴史性」も担って描かれてあることは疑いありません。彼が建てるのはいかにもアメリカ的な家であって、第二次世界大戦後にアメリカの占領国となった日本の変質を、この小説はまさしくそうしてなぞりながら、崩壊していくしかない「日本近代史」を描こうとしたわけです。
 最終章において、この小説はリアリズムを突き抜けて、狂気が暴走しはじめますが、この抱擁/崩壊を繰り返すこの小説の内部において、リアリズム/抽象、ペーソス/ユーモア、それらが微妙に折り重なり、突きあって、原因だろうが解答だろうが、とにかくひとつの形を希求する意志は、最終的に「リアリズム」=ありのままという消失点を失って、狂気へ至って平面となることでひとつの完結性を見ます。
 とにかくリアルなのは、癌やアメリカという外部性であって、それは抜いたり、縫合したりして治るものではなく、人間の生活や日本人の歴史の内側に汚れのように潜んでいるものであるのです。小島信夫はそれを崩落する家長の視点からリアルに描いたといえます。


 第三の新人としての小島信夫

 小島信夫は日本の近代文学においては、同じ私小説を得意とした「第三の新人」らのひとりと目されました。先行者であった志賀直哉梶井基次郎葛西善蔵ら同じ私小説作家から影響を受けたことも顕著ですが、かなり異質な作風を持った小説家です。スケールがけた違いなんです。
 初期に「吃音学院」という短篇あって、僕はこれがとても好きなんですが、小島信夫は実際小さな頃から吃音に悩まされていた、と本を読むと書いてあります。その矯正のために十代の頃に施設に入った経験が書かれたものなのですが、彼の小説は誤解を恐れずにいえば、小説が〝吃音〟なのです。

 とにかく彼の文学には狂気が充満しています。

 彼は戦争にも行ったので、戦争小説も初期の頃はいくらか書いているのですが、そこでも戦争を描こうとしているというより、あくまで主眼はその内部に潜む〝狂気=ユーモア〟にあります。

抱擁家族』の続編として、後に新聞連載小説の『うるわしき日々』(1997)が書かれましたが、このとき小島は90歳を超えていました。
 もし小島信夫という作家に興味を持たれたなら、ここからが本題です。『抱擁家族』以降『美濃』(1981)『菅野満子の手紙』(1986)『寓話』(1987)、なにより大作『別れる理由』(1982)において、1980年代の小島信夫は、かつて日本の近代小説が持ち得えたことのないほどの実り豊かな文学の花を咲かせました。たぶん戦後日本の小説がもっとも豊かだったのは、小島信夫がそれらの作品群を書いていたときだと、僕は信じて疑いません。最初に述べたように、この『抱擁家族』は彼の凄まじい文学的経歴においては通過地点でしかありません。

 

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