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われ深きふちより 島尾敏雄

日本近代小説

 

 これは後に16年をかけて大作として纏まる島尾敏雄の名著『死の棘』(1977)の後顛末と呼べるべき作品集です。『死の棘』では妻が狂気に瀕し、精神病院に入ってしまうまでの、夫と妻とのあいだでのああでもないこうでもないといった堂堂巡りのやりとりが淡々と描かれていましたけれど、この『われ深きふちより』(1955)は、妻が精神病院に入ってしまった後、その病院での体験を直接素材とした、よりリアルな経験の作品となっています。

『死の棘』は評論もブログも書かれてるものがいっぱいあるので、僕はこっちの作品を書きたいと思います。
『死の棘』を論じるなら、『われ深きふちより』も論じなくちゃならないと強く思うからです。島尾の「病妻もの」と呼ばれるシリーズの中では、実は僕はこの連作短篇集が一番好きだったりするのです。

 

われ深きふちより (1977年) (集英社文庫)

われ深きふちより (1977年) (集英社文庫)

 

 

 話の時系列的には前後しているわけですが、書かれたのは、この『われ深きふちより』のほうが早いのです。つまり『死の棘』のほうは、先にいったように、後に回想されてそうあるように実際長い年月をかけて記憶を辿るように島尾敏雄によって綴られて、といった作品です。
 自分のせいで病気になった妻への「島尾敏雄」という作家からの〝創作という奉仕〟が、『死の棘』という作品は意味合いが強いといわれています。『死の棘』はそういう「時間の蓄積」――それが罪と罰の重みとなっている――として読まれる文学作品です。そういう意図のもとに厚みというものがあるわけです。
『われ深きふちより』は少しその文学的意図が違っています。
『死の棘』の強烈すぎる印象で、島尾は困難な生活を永劫的に過ごした狂気の妻に呪縛された沈鬱な家庭の夫というイメージが一般にあるみたいですけれど、実際、妻が精神に異常をきたしていたのは、僅か一年近くの歳月にしか過ぎません。

 

『われ深きふちより』について

 勤めを辞め、執筆もままならない、子供も親戚に預けて、神経の病んだ妻と一緒に、精神病院に入る夫のトシオ。妻がかたときも自分の傍を離れることを許しません。妻の狂気の理由は、トシオの浮気でした。トシオは全ての社会的絆を絶ち、今まで裏切ってきた妻に尽くすことで、赦しを乞おうと、このあと壮絶な献身的看護をはじめます。

 

 私たちがまだ外来で神経科の診療室に通っていた時分、私は神経科の病棟から精神科の病棟を遠巻きにして眺めながら、暗い気持ちに陥ち込んで行くのを防ぐことができなかった。
 私の心もからだも妻の神経症にうちひしがれていた。その反応の発作の時の論理は強靭で、その論理に従う限り、妻も私も生きていることはできなかった。追いつめられると私は醜く逆上して何度も紐をとって自分の首をしめにかかった。すると妻は南島の伝説にある水陸両棲の動物の「けんもん」のように膂力が強くなって私の力を奪い私の首から紐を外した。ふっと襲いかかる魔の瞬間を外すと私には生への執着がどっとやってきた。そのあとには妻の方に危険な自殺の誘惑がやって来て私の神経はくたくたに疲れた。   (「われ深きふちより」  島尾敏雄)

 

 この作品におけるテーマは、『死の棘』と同じく、「夫から妻に対する奉仕」とはひとまずいえそうなわけですが、それは単なる看病ではなく、精神の看病というべき意味合いが正しいです。自分を妻の存在する〝狂気の立場〟まで移行しようとする恐るべき行為が、『死の棘』もそうなのですが、この『われ深きふちより』には描かれています。
 妻を〝錯乱した世界〟から「現実」へ戻させようとするのが目的じゃなく、そういう現実的な治療ももちろんあるため病院に入ったわけですが、言葉をもって救済を呼びこむことが、この小説が書かれた目的です。そしてとうとう夫は妻の側に立ち、「現実」を転覆させてしまいます。「自分」を捨てて〝妻〟へ寄り添い、「現実」を越え〝狂気〟へ至ります。小説の言葉としての狂気を描き、そのことで妻を救済しようとしたのが、この聖書の詩編からタイトルをとられた『われ深きふちより』という小説なのです。

 

 思わずそちらの方に近付いて行くと、私はそこに精神病者たちの風変わりな円陣踊りを見たのだ。
 何といっていいのか、強烈な色彩、そんなふうに私の眼にとび込んで来た。切り千代紙の函をぶちまけたような、原色の色どりが視野の外にはみ出そうとするような感じ、しかし落ち着いてよく見ると、そんなにけばけばしい色あいを見つけることはむしろ困難であったのに。それはその中に女の患者も交じっていたせいかも知れないが、それとても口紅や頬紅を濃くつけていたというわけでもないのに、一種のけばけばした感じが、うわっと私を襲って来たのだ。もうその人たちの中で生活し、その人たちの色々なことにかなりなれていたのにも拘らず。
 (中略)
 私は尚も患者たちの踊りを見ていると、がやがやと又新しい踊り手たちがやって来た。
 これははじめて見る病棟の患者たちであった。それは私の眼のうろこを又一枚とってくれるようなものであった。私は熱にうかされていたのか。男のように頭髪を七三に分け短ズボンをはいたでぶの女、帯を外して着物をはだけて歩いている青年、前頭部のあたりに手術の痕のあるただもうでたらめに手を万歳なりにあげてふり廻している少年、髪をさんばらにした妖婆、妊婦のように腹のつき出たオンナ。それらの新米の患者たちが奇声をあげて円陣の中にはいると、列は完全に乱れ、逆に踊り歩く者、外の方に外れる者、まるで百鬼夜行のようなあんばいになってしまった。
 それまでの見慣れた患者たちが急にいろあせて見えて来たのがへんであった。   (「われ深きふちより」  島尾敏雄)

 

 引用した箇所は、夫が院内の患者たちが庭で円陣を組んで踊っている姿を見るくだりなのですが、これがとても奇妙に描写されています。
 最初見慣れた病棟の人たちの踊りが現れて、次にさらに見たことのない新しい患者たちの奇天烈な踊りが展開されていくわけですけど、異常だと思えていたそれらのものが、さらに異常性を帯びていくその瞬間、夫の元になにやら心境の変化が訪れてきます。

 冒頭に置かれたこの連作集の表題作である「われ深きふちより」、これだけとってみても明らかに傑出したひとつの短編作品といえると思います。最初島尾氏は、この短編だけを書くつもりだったんじゃいかな、と僕は想像します。
 常軌を逸脱した妻への〝違和感〟が、全く取るにたらない「感覚」なものへと至って、「現実」などというものは、実は比較によって提示された「相対性」に過ぎない。精神病棟で狂気に陥った妻の看護の生活をしはじめたこの最初のあたりで、ここで彼は「世界の原型」と唐突に出会い、狂気に満ちた彼女との関係性を通して、人間の「存在性の構造の真実」をすでに見破っているわけです。

 とにかく島尾敏雄という作家がこの時期最も精神の危機的な状況をもたらしていた状態であったのは間違いなく、繰り返すように、『死の棘』のほうは時間をかけてだんだんと書きあげていったものであるのに対し――その時間の浪費と蓄積という〝奉仕〟が、ミホ夫人への赦しの焦点――、この『われ深きふちより』という連作は、まさしく直面したその苦難と、そこを脱出していった直後の希望が題材になって、小説が書かれてあるのが特徴です。

『われ深きふちより』というこの作品は、題材も時期もほとんど島尾敏雄がリアルタイムで描いた話です。妻であるミホ夫人が狂気に陥り、病院に入ってしまった頃に島尾はこれを構想した。そして妻が次第に回復した頃に、この作品は執筆が開始されました。
 自分の罪から妻に献身的に尽くし、その病をともに乗り越えていった経験から得られたその夫婦の困難と、希望が、この作品を島尾に書かせた最大の理由だったのじゃないか、と思えてなりません。そしてこの作品こそが後に連綿と書き綴られて『死の棘』へと結晶化していく島尾文学の文学的秘儀が凝縮されているのじゃないか、と僕は思えてならないのです。


 島尾敏雄という作家の方法意識

 島尾敏雄という人は太平洋戦争中奄美の加計呂麻島に出兵した経験を持っています。指揮官をそのとき命じられており、海軍中尉でした。彼が赴任した奄美は戦争などと微塵も関係がないのどかで美しい青い海が広がっていた場所だといいます。そこで彼は後に運命となるミホさんと出会います。

 敵の船に体当たりする人間魚雷艇として船員たちを送り出すことを任されたそのときの海軍中尉任官としての島尾は、まさに〝出撃〟を今か今かと戦時下で迫られ、その破滅の瞬間を待っていました。同時に、彼は日本が敗戦を迎える真実を知ることになります。
 これは奇妙なことでした。島尾は死を覚悟したそのとき祖国に原爆が投下されたことをすでに知っており、つまり日本はもう戦争に負けていたのです、しかし、敗戦をしたのに自分たちは死ななければならない。自分たちの任務は終わってはいない。その不思議な〝感覚〟は、その後も延々と永続し、彼の小説にはその〝この世でもないあの世でもない〟ようないいがたい時空が常に潜んでいくことになります。

            ※               ※

 島尾の戦争小説はそういう意味で人間の内部にぐいぐいメスを入れていく神経症的過敏なものを持っているわけですが、狂気となったミホ夫人を題材にした「病妻もの」といわれる系譜の作品も、或いは「夢もの」といわれる作品でも、実は同じことを描いているといってよいです。
 戦争でありながら戦争でなく、血なまぐさい戦場でありながら退屈で青い美しい海が広がっている、そんな幻の風景が、島尾の小説には常に横たわっています。彼は帰還した戦後の平和な日常のあいだも、〝そのたった何日かの奇妙な感覚〟をずっと生きつづけたのです。
「死の不可能性」を現実と幻想との領域を交錯させて豊饒な言語空間を作り上げたその文学性は、意味付けられない〝空虚〟をどんどん自分の内側にモノローグとして豊饒化させていき、その混濁の〝空間性〟にリアリティを与えようとしていきます。それはひたすら世界の原型に抽象化していきます。この『われ深きふちより』という小説とは、まさしくその種が花を咲かせた作品だと思います。

 島尾敏雄という作家の方法論の特徴は、僕は一言でいえば〝反復〟だと思っています。アイデンティティを喪失しているその空間は、時間や他者の概念がなく、リアリズム小説ですが、抽象的であり、濃密さだけが膨脹して、とにかく「現実」が異様な気配でもって襲いかかってくるのですが、それが「形」を持っていません。
 小説内部では、時間は流れることはなく、気配の切迫感のみが募っていきます。感情は喪失して空無化していき、突撃が今にも下されるかもしれない戦争の極限状況下、その無意味でさえない死、その「空虚の死」が、一向に意味を持たせることのできない虚脱感となってひたすら膨脹していき、世界は狭く抽象化していくしかないのです。
 この「われ深きふちより」に表された島尾の文学的方法論とは、現実の反対は夢である、では、夢の反対は、何か? という謎解きに近いものといってよいです。それは際限がないものであるから、どこまでも回答がありません。表の逆は裏です。では、裏の逆は果たして表か……? それを許さない執拗な〝反復〟の強度が、妻の狂気と対峙することでエネルギーを増し、ものすごいリアリティーを持ってただひたすら彼の心に迫ってきます。

 

 救済の作家としての島尾敏雄 

 島尾敏雄という作家は私小説作家に括られる小説家です。家族を題材にした方法意識から、同じ私小説作家群の「第三の新人」と括られることもあり、戦争体験を持つことから「戦後派」と括られることもあります。しかし、同時代の小島信夫がそんなカテゴライズが一切不可能な摩訶不思議な作家であったのと同じ意味合いで、何々の作家だとかの括りはほとんど意味がありません。とにかく読めばわかるんですが、複雑な神経を持つ特異な作家で、これまでの日本の作家にはなかったタイプです。坂口安吾なんかもすごく初期の島尾の小説を褒めていました。
 感覚が苦しみへと埋没すればするほど、業苦に見えたそれは全く平気なものへと、反復とモノローグを通すその過程の中で〝回想〟されていく。
 粘り気のある文章はドストエフスキーに似て、苦しんでいることを、どこかで快楽だと思っている節があるわけですが、ある種の地獄巡りを通して経験を積んだその果て、その核心は現実/幻想の領域を破壊してしまうことじゃなく、この「世界の原型」に迫り、幻想=狂気の中に本当の現実を見るのがなにより狙いです。
「病妻もの」の代表作のひとつである『われ深きふちより』という、この作品においては、夫は妻と一緒に精神病院に入ります。ふたりは「文学」という名の下の共犯者です。現実社会から閉ざされた監禁状態で、夫は妻とふたりきりの世界で何が現実か、狂気か判断がつかなくなっていき、そこで狂気の状況を陳腐に提示することが作者の主眼ではなく、妻への懺悔をひたすら繰り返すことも真意ではなく、その驚異的な言葉の矛先は、自分のせいで神経を病んだ妻、そして世界そのものを救済することに向かっていきます。

 

文学は世界と人間を救済する

 

「けがはしなかったか?」
「ううん、何ともなかったよ」
 けろりとした妻は私が何を思い煩っているのかを却っていぶかしがるふうだ。私は妻の顔や洋服を一瞥した。鉄線のひっかき傷やかぎ裂きのあとはないか。板塀の稜線に夜空に映えて鉄線のすきまを狐かなどのように精悍に易々とぬけ出て行く妻の姿を想像すると私はいささか亢奮したのだ。二人だけになって妻のからだを改めてみたいと私は思った。
 妻がぬけ出して行ったのは、発作の果ての絶望からなどではなかった。私のくつくつした考えはそのへんを離れられなかったのに。そして妻は病院を「脱走」したというふうには思ってもいない。郷里の島で元気がないという子供を見たくなったから、そこに行こうとしたまでだ。その意志の前に立ちふさがる障碍を妻は無視して塀を乗り越えた。
「でもトシオが泣いたから戻ってきちゃった」
「泣くのがきこえたか」逆らわずに私もそう言う。
「うん、ミホ、ミホって声を出して犬みたいに泣いていたよ」
 妻は私に渡して看護婦はもういない。
 私は廊下の電灯のあかりでもう一度よく妻の顔をしらべてみた。白い広い額の生えぎわの所に、すうっと一筋の血のにじみが認められた。それはちょっとばかりなまめいて見えた。妻の左の尻のところにある子供のときの怪我の痕だという指先で分る傷の触角が重なって感じられた。
 私は妻の発作がもう終息したのかどうか又このことで医師や看護師にどう対処したらいいかに気が病むが、妻は妙に生き生きとしていた。それは丁度草の露や月の光のしずくを存分に含んで来ていのちが吹きこまれたようにも思えた。   (「のがれ行くこころ」  島尾敏雄)

 

 ここで引用したのは、この作品集の最もピークを為している「のがれ行くこころ」の一場面です。このシーンは実に感動的で、そして宗教がかっています。ミホ夫人が子供たちの影を追って、病院を抜けだし、南方の故郷奄美へひとり戻ろうとするのです。夫が浮気をしたことで傷ついたミホさんは精神を病み、夫といっしょに病棟に入ったため、子供たちはミホさんの郷里に帰っているのです。夫を置いて彼女は不意に子供たちのところへ行こうとするのです。でも、妻は夫のところへ戻ってきます。
 でもなんだか妻はケロリとしています。そして「トシオが泣いていたから戻ってきちゃったよ」というのです。 

 この妻の無邪気な態度と、その「妻の幻」を追う精神の瀕死に陥った夫の場面は、あらゆる現実という現実の虚飾を打ち破って、真実の愛の姿を鮮やかな光で照らしだしているといえます。

 精神病患者たちの奇妙な姿の踊りを見てそれが奇妙でも何でもない、と思えたのと同じ、それよりはっきりした明瞭な生の感覚が、このとき啓示のようにふたり同時に訪れているのがわかります。
 それは神が訪れた奇跡と呼べる瞬間といってよいです。
 閉ざされた精神病院にたったふたりだけいた「世界」は、ここでとうとうのっぴきならない極限の抽象度の高い状態になって、一切の「具体的現実」の感覚から逃れて、完全に幻想=「狂気」の立場へと移行しています。それを可能にしたのは、夫から妻への愛であると同時に、それに返答した妻から夫への愛です。
 罪を許す神と、またどんな苦しみをも請負おうとする罪人の、そのふたりが同じ視線に並び、その献身的な愛が結ばれてここに現れており、奇跡の出現がこんなふうにこの小説には描かれてあるといえます。 

 

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