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村上龍映画小説集 村上龍

日本現代小説

 

 村上龍という作家は、世間的に幅広く読まれた、中学生へ向けた仕事について書かれた書籍『13のためのハローワーク』(2003)や、TVの「カンブリア宮殿」の司会の印象から、なんだかもう文化人的なイメージが定着してしまっている感がありますが、彼は紛れもない現代日本を代表する小説家です。と同時に、映画監督でもあります。
 たとえば現代作家である島田雅彦は彼のデビュー作である『限りなく透明に近いブルー』(1976)を読んで、自分は小説家になると決めた、とその動機を明言していますし、やはり現代を代表するといっていい作家の松浦理英子なども、「村上龍が現代小説の扉を開けた」的な発言をエッセイで書いていたりしています。ミュージシャンや芸能人やアーティスト、著名人でも、彼の小説の愛読者ってめちゃくちゃ多いです。単に彼が有名作家だからじゃないと思います。「村上龍」という存在自体が、ひとつのアイコン化しているのです。彼はこの日本の「戦後」のなにかを象徴しているからだと、ぼくは思います。

 

村上龍映画小説集 (講談社文庫)

村上龍映画小説集 (講談社文庫)

 

 

 1976年に発表された『限りなく透明に近いブルー』が、村上龍のデビュー作です。これは芥川賞効 果もあってか、大ベストセラーになりました。120万部以上売れて、当時の最短記録を塗り替えたそうです。それを書いたのが当時まだ美大生だった若者という 以上に、描かれた内容がとにかくセンセーショナルで、麻薬やセックスに溺れる若者たちの生態が描かれたこの小説は、その「異形さ」によって社会的 ムーブメントを巻き起こしたといってよいです。よって、そのスキャンダラス性が強調されるあまり、正当に評価がされないまま、半ば文学としては迎えられ、半ばその外 側に放りだされた形で、長い歳月を経た今もなお、正当に論じられていないんじゃないか、とぼくはこの作品については思っています。

 それで、私的なことですけど。ぼくは村上龍さんがいなかったら、きっと小説書いてないと思います笑 彼の小説技法というより、その立ち位置、スタンスに影響を受けたといってよいです。ぼくの最初の読書体験は龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)でした。こういう人が小説を書くんだ、と思ったんです。いっている意味が読者の方にわかるかどうか、と思いますけど、講演とか収録とかも足をけっこうぼくは運んでいてて、「生村上龍」を何回も観てるんですけど、こいつ不良だなと思いました笑。同じ不良だから、匂いでわかるんです。そして彼は正しい意味での最初の戦後生まれの作家です。『コインロッカー・ベイビーズ』は彼の20代のときの最初の長編で、昔の小説ですが、最初の推薦作あげるとしたら、やっぱりこれでしょうね。そこにある満ち溢れてやまない過剰なエネルギーの熱は今も失われてはいないと思っています。

 

村上龍映画小説集』について

 それで、個人的に最もぼくの愛する村上龍作品を今回はレビューするんですけど、それは『村上龍映画小説集』(1995)です!

 一見タイトルからして地味極まりないです笑 なに、これ? 龍さんが、映画紹介する本? いえ、違います。『村上龍料理小説集』(1988)という、料理を素材にした作品も彼は書いたりもしているんですけど、この作品は映画を絡めてエピソードに綴った自伝的風味を持った連作短篇集です。枚数も原稿用紙400字詰め換算20枚程度の作品が12編と、大作でもなんでもないわけですが、一作選ぶとなると、ぼくはこれなんです。これを村上龍の代表作として選ぶ人は、たぶんぼくだけでしょう笑。だけど、ぼくはこれをあげます。理由は順を追って説明していきたいと思っています。

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 内容はこんなです。

 ケンという23歳の青年が主人公です。どうやら語り手は現在小説家となっている人のようです。回想風に語られているわけですが。まあ、どっちも村上龍本人です笑

 ケンが長崎の佐世保から上京して、美術学校に入学して、そこを中退して、横田基地の傍にある福生のアパートで、きわめてエキセントリックな女性――そのキミコは人妻なのですが――と同棲生活をしていく生活が描かれていきます。上京する列車の中での題材を扱った話もありますし、福生から出て、美術大学に二浪して入った以降の話も出てきますので、「基地の街」で過ごした生活に焦点があてられているというわけじゃなく、描かれた題材のタイムスパンは比較的長いです。つまるところ、高校を卒業した18歳から、小説家としてデビューする23歳までの自身のことを自伝的に綴ったのが、この『村上龍映画小説集』で、モチーフとなっている映画も、たぶんすごく愛着があるんでしょう、実に効果的に使用されており、内容もまた非常に濃いものとなっています。この作品をぼくがなぜそれほど重要視して愛するかというのなら、この作品が彼のデビュー作である『限りなく透明に近いブルー』の前後にあたる出来事を「題材」としてとりあげているからです。

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 とりあえず、12篇のモチーフになっている登場する映画をすべてあげます。

甘い生活』 (1960) 監督フェデリコ・フェリーニ
ラスト・ショー』 (1971) 監督ピーター・ボクダノヴィッチ
『地獄に堕ちた勇者ども』 (1969) 監督ルキノ・ビスコンティ
『大脱走』 (1963) 監督ジョン・スタージェス
狼は天使の匂い』 (1973) 監督ルネ・クレマン
ブルー・ベルベット』 (1986) 監督デイヴィッド・リンチ
アラビアのロレンス』 (1962) 監督デヴィッド・リーン
地獄の黙示録』 (1979) 監督フランシス・フォード・コッポラ
ロング・グッドバイ』 (1974) 監督ロバート・アルトマン
レイジング・ブル』 (1980) 監督マーティン・スコセッシ
『スコピオ・ライジング』 (1963) 監督ケネス・アンガー
『ワイルド・エンジェル』 (1966) 監督ロジャー・コーマン

  こうして見ると、やっぱりこの小説の時代設定となっている1970年前後の古いものが多いとわかりますが、1980年代の頃のものもありますし、誰も知っているハリウッド大作も、極めてアンダーグラウンドなカルト映画もとりあげられています。作品はこの映画タイトルがそのままタイトルになっており、必ずしも映画と描かれた題材が深く関連 があるといえないものもありますが、どれも重要なモチーフや「狂言回し的」な役割を担っているといえて、当時の龍さんの映画に対する熱、それは同時にその時代にあった熱といってよいと思いますが、それがすごく伝わるものが作品に充満しています。
 12篇ぜんぶについて語っている余裕はもちろんないので、ぼくの好きな作品を選出して、レビューしていきます。とりあげるのは「甘い生活」と「アラビアのロレンス」の二作品です。

 

甘い生活

甘い生活』は冒頭作品です。

 この映画はいわずと知れたイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの初期から中期にかけての転換期にあたる傑作ですけど、内容は、佐世保から上京して、専門学校に行かなくなり、ヒッピーの仲間たちと遊ぶようになった主人公ケンが、キミコというエキセントリックな年上の女と出会い、横田基地付近のアパートに移り住んで、同棲しはじめたという話がまずされたあと、次々と退廃的なことが起って、黒人たちとの乱交パーティー、ドラッグ使用、堕胎や自殺未遂騒動や、刑事事件や暴力沙汰など、やがて彼女との生活に疲れ果て、ケンが美大(武蔵野美術大学)に入学し直し、そこでサクライという同級生と知り合うというエピソードが綴られるんですが、ここからがこの作品のストーリーの本筋となります。

 サクライは映画狂です。いわゆる「シネフィル(映画通)」です。ケンは彼に感化される形で様々な映画の虜になっていくんですが、もともとケンも映画が好きだったのですけど、佐世保の 田舎では上映される映画は限られており、情報量や鑑賞能力においても、サクライにはとても敵いませんでした。もちろん今のように名作から新作まで自由に鑑 賞できる便利なインターネットも当時はなければ、ビデオレンタルショップすらない時代ですから、話題になった映画を観るために、ふたりはいろんなところへ行っては映画を観まくることになっていくわけです。だんだん卒業も迫ってきました。就職しなければならなくなった時期、サクライは親のコネで大手の広告代理店に入社することができそうだとケンにいいます。ケンはそ れを快く思いません。なぜならケンはサクライは自分と同じように、映画でなくても、なにかアートの道を将来は選択をする、と思っていたからです。

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 実はここに描かれたエピソードですが、まったく同じ内容で、初期村上龍のエッセイ集に、彼はこのことを書いています。実際これは本当に村上龍自身に起こったことです。彼はそのことを回想して、20年後にそのときのエピソードを今度は「作品化」しているわけです。しかし、事実と小説に書かれたことは、ちょっと違うものがあります。ここでは敢えて触れません。

 ケンはある雨の日に一本の映画を観ます。フェリーニの『甘い生活』です。その凄さに心底打ちのめさてしまったケンはその感動をとにかく一刻も早く伝えたくてサクライのアパートを訪ねます。彼は不在でした。就職の件で、親とそのお偉いさんだか誰かとの食事会に行っていたのです。ケンはチラシの裏に書置きを残します。だんだん雨でボールペンの文字が滲んでいきながらも、「フェリーにはすごい、お前は映画をやれ、代理店なんか止めろ、一緒にいつか映画を作ろう」そう書いたものを、ポストに投函します。

 結局サクライは代理店に就職してしまいます。ケンはフェリーニの 映画を観た後、自分の描いている小説や絵が、あまりに下手くそ過ぎ、その才能の差に絶望して、破り捨てたくなるんですけど、結局そのとき書いた小説が賞を 獲って、彼は小説家となっていくことになります。それを振り返って、この作品は書かれているわけです。そのときの心象を、作品内でこう綴られてエンディングになっています。 「誰かになにかを伝えるということに生まれて初めて敬意を持った」と、自分が原稿を破らず書きつづけた理由を、村上龍はそう書いているのです。

 

アラビアのロレンス

 もうひとつの作品、「アラビアのロレンス」です。これはレイコという女性に焦点があてられています。

 上京したケンはキミコという人妻と出会って同棲し、同時にヨウコという女性とも知り合って、とにかく盛りのついた動物のようにセックスしまくるわけですが笑、『限りなく透明に近いブルー』に登場する、オキナワやヨシヤマらモコやケイや、さらに『ブルー』には登場しなかった、ほかの当時の人物たちもたくさんここに登場してくるわけですけども、この作品でひときわ目立って描かれているとぼくに思えるのが、『ブルー』にも登場するレイコという女性です。

 レイコは16歳です。正真正銘のジャンキーである、オキナワの恋人であり、沖縄から美容師になりたくて東京へやってきた、世間知らずのあどけない少女です。ハセガワという年上の男と知り合って、彼がいわばパトロンとなって「ドールハウス」というスナックを彼から任されて、その年齢で店を切り盛りすることになります。ハセガワは「ドールハウス」を、芸術家たちが集まるパリのサロン風の空間にしたかったわけですが、あっというまにヒッピーと呼ばれる若者たちのたまり場になってしまい、薬物やセックスやロックが吹きだまる理想とはかけ離れた、「荒廃」した掃き溜めとなってしまいます。

 レイコを重要な役回りとして描かれたこの「アラビアのロレンス」という作品で、『限りなく透明に近いブルー』では不鮮明だったレイコの輪郭がくっくり浮かび上がっているのが、なにより興味深いところで、彼女はとても美人とはいえませんし、太っていて、田舎者まるだしで、頭もあまりよくないようです。ハセガワは、「ああして、ドラッグやロックで毎日遊び呆けている連中の中に、実は就職の世話をしてくれないか、とおれにこっそり頼んできたやつがいるんだぜ」とケンに打ち明けるんですけど、レイコにはそういう狡猾な性格は一切見当たりません。彼女は純粋なんです。

  ストーリーは彼女がヌード写真のモデルをするために出かけていく一日が描かれたものです。ひとりで行くのが怖いから、とケンに付き添ってもらえない か、といって、撮影場所に出かけます。レイコは縛られたり、吊るされたり、卑猥な格好をさせられながら、仕事をこなします。そんなことをしなくてはならなくなった理由は、ドールハウスで 稼いだお金を彼氏のオキナワがぜんぶヘロインに使ってしまったからだと、ケンに打ち明けます。帰りにフルーツパーラー(今でいうと、ファミレスみたいなところでしょうか)で、 スパゲティとカレーライスをふたりで食べながら、レイコとケンは話をします。そしてレイコはケンの前で大粒の涙を零すのです。

 

 村上龍作品に宿る過剰性について

 ぼくは村上龍作品を、デビュー作から順を追ってだいたい読んでいますが、『愛と幻想のファシズム』あたりが、小説家としてひとつのピークを迎えたのかなあ、と思うところがあります。彼の代表作はやっぱりまず『コインロッカー・ベイビーズ』でしょうね。それから『愛と幻想のファシズム『69』(1987)『五分後の世界』(1994)『半島を出よ』、あと、女子高校生の援助交際の実態を描いた『ラブ&ポップ』(1996)――これは後に庵野秀明によって映画化されました――や、久方ぶりに古巣の「群像」に戻ってきて連載して谷崎潤一郎賞を受賞した『共生虫』(2000)や国会でも取り上げられた『希望のエクソダス』(2000)もそうでしょうか。

 個人的には、ぼくは中上建次に捧げられた『音楽の海岸』(1993)――これはあまり売れなかったらしいですけど――とか、初期の短編集である『ニューヨーク・シティ・マラソン』(1986)とかも、繰り返し読んでいて、龍さんの作品では大好きなものがいっぱりあります。代表的エッセイである『すべての男は消耗品である』シリーズもずっと読んできました。中には、まあ、ちょっとこれは……という作品も彼にはありますけど笑、とにかく全作品読まずにはいられない、村上龍ってそういう愛すべき作家で、また彼はいろんなタイプの作品を書きわける器用さを持ち合わせた才人でもあって、でもどの作品にも共通しているものがあるといえます。それはそこはかとなく漂う無力感や絶望感と呼べるものといってよいでしょう。それと同時に途方もない生命力や希望が同居しているところが、彼の持ち味だとぼくは思っています。

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アラビアのロレンス」の場合なら、小説家になったケンは、自分が無力感に包まれたときに『アラビアのロレンス』 を観ることにしている、と綴ってこの作品は終わっているわけですが、理由は、砂漠にはなにもな い、そのとき人は自分自身と向き合うしかなくなるからだ、とそういうふうにいいます。まだいたいけな少女がSMのヌード撮影をするなどという無力感に打ちの めされて、18歳のケンはそのときなんの慰めの言葉もいえません。そして自分があの圧倒的な無力感か ら今も自由になれてなどいない、と書いています。バッドな気分になったときラファエロが描いた天使のような瞳を持ったレイコを見て元気をだしたものだ、ともこの作品には書かれています。レイコはそういう存在だったようです。

 村上龍の過剰なエネルギーは「退廃」として現れるときもあれば、「ユーモア」として現れるときもあれば、極めて「エキセントリック」な傾向に逸脱する場合もあり、圧倒的な動物的「エネルギー」として爆発する場合もあります。
  そこにはいつもある種の悲しみやせつなさの感情が同居しているのが特徴です。それは端的にいえば、この「アラビアのロレンス」に描かれたような、無力感、だと思います。かなりユーモラスに描かれ た、これもやはり自伝的な小説である『テニスボーイの憂鬱』(1985)という作品でさえも、主人公は外国産の高級車を乗り回し、美人のモデルと不倫をして、 もっぱらテニスに打ち込んで遊び呆けますが、憂鬱、なのであり、この「憂鬱」は、単なる主人公の心象に留まらず、実は日本の歴史と深く連動していることが 重要です。あのとき大粒の涙を零したレイコの悲しみは、単に個人の悲しみには留まらないものが、実はあるわけです。村上龍が抱えた「無力感」や「過剰さ」とは歴史に迫ったゆえのものだといってよいのです。

 

 村上龍の日本現代小説史での立ち位置

 デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』の前段階にあたるエピソードが散りばめられるように描かれたこの『村上龍映画小説集』には、なぜ村上龍という人物があのようなスキャンダラスに見舞われた生活をし、『限りなく透明に近いブルー』という小説を書いたのか、それが理解できるような、かなり彼の本音の部分が吐露された内容を持っており、それだけにとどまらず、彼の小説がなにを意図して描かれているか、それが露出した稀有な作品だとぼくは思っていて、だからとても興味深いと思うんです。

 この作品は自身の青春期の頃を追想するように描かれた性格を表面的には一見持っていますが、しかし、一般的にいい年を迎えたといわれる頃になった村上龍が、 そういう意味合いでこれを懐かしむために書いたとは到底ぼくには思えません。あるいは、過去に起ったことだと断絶感を覚えて書いたわけでもきっとないでしょう。こ れは間違いなく〝追体験〟するために書いたのが真相だと思っていて、書き方はまったく異質ですが、たとえば彼のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』はフランスの泥棒作家ジャン・ジュネの著しい影響下で描かれたものだとぼくは確信していますけれど、作品が文壇にセンセーショナルに迎えられた最大の理由は、内容より、近代小説の「継承」が欠損していた感覚にあったのだとぼくは思っています。これはやはりセンセーショナルにその登場が迎えられた石原慎太郎深沢七郎などの場合と同じだといってよいのです。なぜそれがセンセーショナルかというと、歴史にかかわる問題だからです。

 日本で小説を書く場合、日本の近代小説を模倣するであれ批判するであれ、とにかく「継承」するという伝統を、戦後のある時期からいくらかの作家は捨て去っ て、小説を書きはじめていきます。ぼくが思うに、それを彼らは敢えて意図してやった、と思っています。理由は、抜き差しならない内部の文学性が、彼らにまたあったからです。ゆえに、異端であるその文学性も文壇に認められたと思います。たとえば自分の身に起ったことを題材にするなど、描けば私小説になるに決まっているわけですが、そういう性格を持っていながらも、『ブルー』はその形式から私小説とは呼べません。いっても、せいぜい半自伝的でしょう。石原氏の作品もまた、実際に起った出来事をモチーフにしながら、あくまでそれを日本的風土の私小説風ではなく、ジャン・コクトーフランス文学等の、海外文学の影響下で描いて、まったくそれまでにない文学作品にしたてあげました。さらにこの事態は直接的に現代アメリカ文学カート・ヴォネガットリチャード・ブローティガンらの作品を模倣して登場してきた村上春樹によって、決定的な「戦後」のひとつの潮流となっていくわけです。

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  1980年代、村上春樹と並んで「W村上」と称されて、村上龍は最も売れる小説家のひとりとして名を馳せました。出す小説出す小説が、ぜんぶ何十万分も売れたんです。村上龍という作家がそれだけ 日本人に受け入れられたのは、小説が素晴らしかったというのももちろんですが、「日本の近代文学」がそれまで持っていたなにかがそこに失われていた、とい うことが大きかったと同時に、実は逆も存在し、だからこそ彼らが現代日本に存在するなにかに「接近」した文学性を持っていたことが最たる理由だと、ぼくは思ってい ます。
 日本の近代小説が、村上龍村上春樹山田詠美吉本ばななら、 それら新しい作家たちが登場した1980年代で終わったかというのは、もちろん多くの議論があるところだと思いますが、ひとついえるのは、この日本の「戦 後」を経過するにしたがって、それまでの歴史を見過ごせる時代が募ってきたことがひとつ確かなこととしてあり、同時にまた、べつの側面が強調されはじめた ということは避けられないだろうということです。けれど、ぼくが村上龍についてここで書きたかったことは、「脱近代主義の代弁者」たる性格的なことじゃありません。彼が見過ごしたと同時に見出すことをし た、日本の戦後史に「接近」した知的なある側面についてです。

 

 龍文学の核心について

村上龍映画小説集』に話を戻します。

 ケンは最初地元の仲間たちとブルースバンドをやるために佐世保から上京してきます。バンドはあっけなく挫折します。佐世保であれほどアメリカ人たちによって演奏されていた黒人音楽は、東京で聴くことはまったくありませんでした。佐世保より進んでいる大都会だと思ってやってきた東京は、ケンにとってはとにかく閉鎖的で、時代遅れで、誰もが保守的に見えました。ストリートでは吐き気がするような反戦フォークがただただ流れていました。

  彼はだんだん東京の連中とは距離をとるようになっていきます。専門学校で政治運動をしているひとりの学生と仲良くなり、彼に紹介される形で、多くのヒッ ピーたちと出会っていきます。彼らもまた「アウトサイダー」たちだったといってよいです。本格的に横田基地周辺に住居を移し、ドラッグやセックス やロックや暴力に満ちた世界に、ケンはまみれていきます。その頃のことを振り返って、「楽しいと思ったことはない、ただ悪いことだけを選んでやっていた」 とこの『村上龍映画小説集』の冒頭で村上龍は書いています。

 この小説集に描かれてあることは、繰り返しますが、圧倒的な無力感、といってよいです。それが全編を覆い尽くしています。たとえばケンはサウナ風呂を掃除するバイトを紹介されて、結局サ ウナだけ入って帰ってきてしまうという、まるでいい加減なエピソードが題材になった作品もあったりして、そういう一見ふざけた人物として描写されていた りもするんですが、彼がとにかくいろんなふうに「逸脱」していくのは、彼の心の内に、なにかどうしようもないものが抱えられているからであるからなのは明白なんです。じゃあ、それはなんなのか。それは直接には描かれてはいません。

 村上龍はひたすらその逸脱していく「退廃」を克明に描写するほうへ筆を向かわせて小説を書きます。ここが村上龍という作家の文学の核心部分だと思っています。

 

 私小説作家としての村上龍

  ぼくが村上龍作品でも、比較的地味なこの『村上龍映画小説集』をとにかく偏愛するのは、デビュー作の『ブルー』などにあった、ジャン・ジュネの『泥棒日 記』に描かれたのにも似た、悪徳への美学、と酷似するような手法を、彼が敢えて用いて作品を描かなかったところにあるといってよいです。『ブルー』にはジュネだけじゃなく、ルイ・フェルディナン・セリーヌや、ノーマン・メイラーや、フェリーニらの映画の影響もあったでしょうけれど、この作品にはそれらの影響は皆無です。『限りなく透明に近いブルー』にも、この『映画小説集』にも、ジャン・ジュネという固有名詞が同じように登場してくるにも関わらず。それは片方が20代の頃に描いたもので、片方は40代の頃に描いたものだから、とか、長編と短篇の違い、ということじゃまったくないと思います。

 ふだんフィクションを描く作家というのは(つまりホラを吹くことでしか真実を語れない小説家という存在)、ときどき本音をポロっと明け透けにさらしだしてしまうような作品を書いてしまう場合があります。村上春樹にも通じると、ぼくはときに思う部分です。 強調したいのは、少なくともこのような過剰性=退廃性を持った文学(『限りなく透明に近いブルー』 のこと)が、これまでの日本の小説には見られなく、それが昭和に入ってから長年つづいてきた「日本近代小説史」を食い破ってしまった、という歴史がまずあり、 それから20年経た後彼が再びデビュー作と同じ題材を用いて書いた小説で、見過ごしたはずの方法論、そこでエピソードとしても零れ落したものを拾うように、端的にいうなら「私小説的手 法」――もちろんこれはあくまで村上龍的な私小説であって、本流ではないですが――を導入して作品を描いたということです。

 

 基地という街に生まれて

  微細に見つめていくのなら、ひたすらアメリカ文化に浸食されたような『限りなく透明に近いブルー』にも、日本的抒情性が漂っていることは明白です。村上龍はデ ビュー後すぐに文芸誌から離れ、主に大衆雑誌と呼ばれるものや、中間的な版元で小説を発表していくわけですが、日本の文壇では「本流ではない」ゆえになかなか認め られなかった風潮があったみたいです。これは1980年代以降の日本文学を牽引したもうひとり、村上春樹もまた似ています。「こんなのは文学じゃない」と長いこといわれていたようです。でも両者ともひどく日 本近代小説的方法意識に近接したものを、作家内部に持っているのです。とりわけ村上春樹は「メイド・イン・ジャパン」と呼んでも差し支えないものを内包している、極めて 日本的作家であるのは間違いないでしょう。当人は頑なに否定するでしょうけど。

 日本があの軍事的にも文化的にも経済的にも圧倒的なアメリカに敗戦したという「現実感」が、村上龍の抱えている無力感の根本です。彼は生まれ育った佐世保の 基地、そのアメリカ人たちが集った街で、圧倒的な文化的差を、幼少期から思春期にかけての多感な時期にその目で見たのでしょう。それと対峙するものを持てるものが日本にはあるのか。或いは、 日本は持てるとして、どう持つべきか。彼は憂鬱なのです。しかし、無力感に打ちのめされるほど、彼の過剰性は強烈に発熱し、暴発して、麻薬に溺れ、ときに彼方で戦争が起ることを想像し、ときに東京を爆破してしまいます。

 村上龍の小説は時代を経て、変化していきます。しかし、そういう意味では変わってはいません。そうぼくは思っています。彼の文学は日本の近代小説を軽妙に飛び越えながら、同時に接近もして、戦後に持ちつづけざるをえなかった、捨てざるをえなかった、どうしようもないなにかに肉薄しようとしているのは明らかだと思えてなりません。それがどれほど上手くいっているかどうかは、またべつの問題です。

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  この『村上龍映 画小説集』ですが、ぼくは単行本も文庫本も数冊何度も買い直して持っています。それくらい好きです。ボロボロになるまで何度も読んでいるんですけど、とにかくこの12作品全編に満ちているの は、帯に書いてある「ほろ苦さ」どころじゃなく、圧倒的な無力感と悲壮感と絶望と、それでも輝きを見つけようともがく主人公の退廃に彩られた生命力です。 そこにはまた非常に鋭い観察眼もあり、ユーモアもあり、傷つきやすい繊細さも潜んでいて、美しいです。

 とにかく駄作が12作品中ひとつもない。村上 龍という人は資質的に短距離ランナーだとぼくは思っているんですけど、最初がよくても、あとが やっつけ仕事、みたいな作品けっこう多くて……『コインロッカー』も『愛と幻想とファシズム』 (1987)も『半島を出よ』(2005)も、 どうも後半がいただけない。飽きちゃうんですかね、龍さんって。でも、龍さんの名誉のためにいっておきますけど、龍さん自身 エッセイで、自分は小説を書くのはうまくないし、逆に、うまくなってたまるか、といっておられて、未分化なのは、全然彼の小説の疵になってないどころか、逆にそれが魅力だったりするんですよね。ぼくはそういうのが小説だと思うんです。

『映画小説集』はある種完璧な短編集だとぼくは思っています。これほど完璧だと思 う短篇集は、日本の現代小説だと、ほかに向田邦子の『思い出トランプ』(1980)くらいしか思いつきません。

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 デビュー当時の村上龍レイバンのサングラスがトレードマークだったとエッセイで書いています。対談相手は若かりし頃の中上建次。『ジャズと爆弾』(角川文庫)より。