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ニキ・ド・サンファル展へ行ってきました

 

 ニキ・ド・サンファル展へ行ってきました。国立新美術館です。会期は2015年の9/18-12/14。休館日が火曜日ですので、ここ要注意です! 通常は18時までですが、金曜は20時まで開館しています。もうすぐ閉館なので、是非足を運んでみてください。女性の方は特に。

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www.niki2015.jp

 ニキ・ド・サンファル(本名 カトリーヌ・マリー=アニエス・ファル・ド・サンファル、1930-2002)は、戦後を代表する現代アーティストの一人です。両親がフランス人とアメリカ人で、ニキはふたつの国で育っています。美術史などではフランスの「ヌーヴォー・レアリスム」の前衛アーティストとして紹介されることが多いですが、彼女の特質は、単なる「60年代的前衛」に留まるものではありません。普遍的な芸術性を持っています。

 とりわけ初期の頃は、その生い立ちであるヨーロッパとアメリカの両方の美術の痕跡が混在している点が、独特な表現をもたらしたといってよいです。もちろん彼女が女性であったということも、重要な点でしょう。

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 ニキ・ド・サンファル 「自画像」 1958-59

 最初に今回のレビューについて断っておきたいのですけど。

 今回はいつもより少々個人的なレビューになります。はっきりいって、展覧会内容をどうとかあまり語りません笑。理由は、ぼくにとってニキ・ド・サンファルというアーティストは特別な人にほかならないからです。

 彼女の作品にぼくが最初に触れたのは、もう15年以上前で、ある画集をひも解いたときでした。区立の図書館だったか、本屋さんだったかもしれません。一瞬で衝撃を受けてしまいました。それで早速彼女の画集やらポスターやらポストカードやら、手に入れられる限りのあらゆるものを入手しましたが、ネットで調べると、なんと国内にニキ美術館があるじゃないですか! 栃木県の那須塩原です。ぼくが最初に訪れたのが2003年の夏でした。残念ながら、今はもうこの美術館は閉館しています。でもHPは継続しており、グッズ等もここから購入可能です。館長の増田静江さんの伝記等も掲載されています。是非一度ご覧になって欲しいと思います。

niki-museum.jp

 確か、国内初のニキの回顧展は2006年だった記憶があるので、今回は約10年ぶりの2回目の回顧展ということになります。まず、ニキ・ド・サンファルという人がどのようなアーティストであったか、というところをざっと紹介することからはじめたいと思います。

               ※               ※

 最初彼女がアートを志したとき、同時代に活躍していた現代アーティストたちに強烈な影響をうけます。ジャクソン・ポロック、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグジャン・デュビュッフェ、「サグラダ・ファミリア」で有名なスペインの建築家、アントニ・ガウディらです。

 彼らは戦後間もない「アメリカ抽象美術」「アメリカ・ポップ・アート」「ヨーロッパのアンフォルメル」らを代表するアーティストたちです。彼らの登場によって戦前と戦後では大きくアートは変革することになります。

 アメリカという、アートシーンにとっては「後進国」にあたる存在が、とても大きな役割を果たすことになったのは、第二次大戦時中の頃からです。戦争を逃れてアメリカに亡命した芸術家も多かったのです。戦後にはヨーロッパに拮抗する芸術大国となっていきます。実際抽象絵画以降の40年間ほどのアートシーンにおいては、アメリカが美術を牽引したといってよいです。NYがその主たる舞台となりました。

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 ジャクソン・ポロック 「インディアンレッドの地の壁画」 1950

 さらにニキ・ド・サンファルというアーティストが製作に取り組む大きなきっかけとなる事件が、彼女の内面の奥底にあるので、それも書いておきたいと思います。

 彼女は20歳の頃、結婚するのですが、精神を病んでしまいます。フランスの貴族の家系として育ち、結婚し、子供にも恵まれた彼女がなぜそんなことになってしまったか。アーティストとして大成した晩年になってようやく、初めて彼女自身の口から公言されて、それは明らかになるのですが、彼女は11歳のときに実父に性的虐待を受けていました。その傷痕は生涯癒えることがなかったのです。精神を病んだ彼女が救済を求めたのがアートでした。それも挑発的で、前衛的で、破壊的なアートです。そしてそれは彼女を救った、とぼくは思っています。

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 ジャスパー・ジョーンズ 「ターゲット」 1966

 彼女がそんな苦闘の中製作していた初期の頃の作品を観てみます。

 たとえば「無題(ジャクソン・ポロック風の抽象絵画)」(今回は展示されていませんでしたが、「ジャスパー・ジョーンズの射撃」「ボブ・ラウシェンバーグの射撃」という作品もあります。)と、すでにタイトルからして、先に挙げたアーティストの影響を自身で公言している作品があります。背景はそのままポロックの「ドリッピング・アート」であり、立体的な作品に絵の具を塗りつけていく「コンバイン・ペインティング」手法は、ラウシェンバーグそのままです。

 彼女が一躍にして脚光を浴びたのが、1961年の「射撃アート」なるもので、これもジャスパー・ジョーンズの作品からインスピレーションを与えられたのは明白です。絵の具を入れた缶や袋を埋め込んだ石膏レリーフに向けて銃を放つ「パフォーマンス・アート」が人目を引いたのですが、今回の展示会では「マリブの射撃」と題される、その彼女が実際に射撃をしている映像も観ることができます。

 しかし、この「射撃」は、たとえば今回展示されてあった「必要とされた殉教者/聖セバスティアヌス/私の恋人の肖像/私の肖像」(1961)なる、初期代表作と呼べる作品における内容、男もののワイシャツの上に矢が何本か刺さった射撃用の的が飾ってあるオブジェ、はジョーンズの意図したそれとは異なります。ニキにとって「射撃」とは、「男性性」を象徴し、それを狙い撃つものとして捕えられています。

 彼女は先達の現代アーティストの技法を借用しながら、そこに独自の解釈を与えて、初期作品を製作していったといってよいです。それは全く独自な作品として起立しています。

 そしてここに父親ら、男性に対する復讐、憎悪が決して膨脹してないところが、最たる彼女の特質すべき点とぼくは思っています。彼女のアートは一貫して、女性の自立とその解放を謳うものです。それは彼女の代表作といえる「ナナシリーズ」の彫刻作品へと、後に結実していくことになります。

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 ニキ・ド・サンファル 「あるカップル」 1978

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 ニキ・ド・サンファル 「赤い魔女」 1963

 初期の頃の彼女の作品には、他にも特筆すべき点がいくつかあるので、もう少し説明します。 

 最初の頃、ニキは様々なオブジェを石膏して、塗料して、「アッサンプラージュ」(立体的なものを寄せ集め、積み上げ、貼り付けて制作されるもの)の作品を多数作っていますが、そこにピストルと爬虫類のオブジェが頻繁に見られることは、重要だと思います。ピストルはむろん「男性性」を象徴していまして、爬虫類は「古代文明」を象徴しているのは疑いないです。

 彼女の作品は、女性の解放であると同時に、現代文明の批判、プリミティブなものへの視線が注ぎこまれているのも特徴的です。

 さらに彼女の作品には、不思議な攻撃と融和があるのです。異質なものが共存し、拮抗している、といってもいいです。

 女性と思わしき巨大な彫刻作品といっていい「アッサンプラージュ」作品は、一見聖母に見えながら、男を誘う娼婦であり、ときには魔女であり、母親でありながら無垢なる少女でもあって、「女性とはなんであるのか?」という批評精神を、観る者に突き付けてきます。肢体が捥がれ、血に染まった作品も多々見られます。彼女たちはなぜ虐げられているのか。にもかかわらず、なぜ男たちを誘ってやまないのか。後に昇華されていく「ナナシリーズ」の豊かな女性像は、それらを考慮しないと本質の意味合いは半減してしまうと、ぼくには思えます。

 初期の頃のある種挑発的であり、ある種血まみれであるニキの作品に対してぼくが強く思うのは、とにかく極めて繊細でありながらもメルヘンな美意識が全体を覆い、攻撃的でありながらもそれ以上の強い女性的な包容力があり、神秘的でおぞましいながらも極めて美しい色彩やオブジェが、みごとな調和を保っているという、なによりこの点です。

 彼女の作品を単なる前衛や、憎悪や、男性社会批判からなるアートととらえては足元をすくわれるでしょう。ネガティヴな要素を見つめながら、常にそれを乗り越えようとする視線を作品に注ぎこんだそれらの情熱は前例がないもので、かつ鑑賞者を巻き込みながら極めて「私的」であり、そこにぼくは衝撃を受けたわけです。

 正直いうと、ぼくは後期の彼女の「ナナシリーズ」はあまり好みじゃなく笑――彫刻作品となると、他の彫刻家には一歩劣る、というのがどうしてもあって――、これら初期から中期にかけての抽象画やアッサンプラージュ作品が、ニキのアートではとても好きなので、今回はどうかなあ、と思って足を運んだんですけど、思ったとおり、やはりこの時期の作品の展示は今回も少な目でしたね。それでも何点かは見ることができたので、とてもよかったと思っています。

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 ニキ・ド・サンファル 左「タロットガーデンの為のドローイング―愚者―タロットカードNo.0」 1985 右「魔女のパーティー」(「ナナ・パワー」より) 1970

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 遅まきながらですが、今回の展示内容の構成を、ざっと紹介しておきます笑。

「1 アンファン・テリブル―反抗するアーティスト」「2 女たちという問題」「3 あるカップル」「4 ニキとヨーコ―日本との出会い」「5 精神世界へ」「6 タロットガーデン」と6つに分れています。1と2の初期作品以降の彼女の作品の特質を、順次に叙述していくと、こんな感じです。

「3 あるカップル」に展示されている作品には、ティンゲリーとの関係が色濃く反映されたものといってよく、ニキはジャン・ティンゲリーと出会い恋に落ちるわけですが、この三角関係はどうだったんでしょうか。ティンゲリーは廃棄処分された鉄くずやゴミなどを拾って立体作品を作るスイスの建築家だったんですが、共同で製作した作品もあったりします。ニキと出会った頃は既婚者でした。ティンゲリー夫婦とは家族ぐるみで仲が良かったようですが、引き裂かれる思いも、やはりどこかにあったのは想像に難くありません。

「4 ニキとヨーコ―日本との出会い」に展示される作品において、先に述べた「ニキ美術館」の増田静江さんが登場してきます。増田さんは「シズエ」と発音することが、フランス人であるニキには難しいだろうと配慮し、自分を「ヨーコ」と名乗ったので、ちょっと煩わしいのですが笑、ニキの作品と出会って衝撃を受け、彼女の作品のコレクターになったのが彼女で、公私ともに親交を厚くし、今回はそんなふたりの微笑ましい写真や手紙のやりとりも展示されてあります。後にこれが那須の「ニキ美術館」として結実していくことになるわけです。

「5 精神世界へ」の会場は、ニキにとってのまさしく精神性を体現した作品が陳列されています。日本の仏像にも興味があったらしく、それに似せた作品もあって、写真撮影可能だったんですが、ブレてしまいました笑。

「6 タロット・ガーデン」と題される会場では、ニキが人生の最後にまさしく全精力を注ぎこんだといえる「ニキの公園」が紹介されていて、なんと20年もの歳月を費やした集大成です。「タロット・ガーデン」はイタリアのトスカーナに建築された、ニキの様々なオブジェによって構成されている建築の楽園です。これはニキが生涯敬愛してやまなかった、ガウディの「グエル公園」を模したものは明らかです。彼女の芸術の結晶がここに完成されました。

 とりとめもないレビューで、さらに長くなってしまって、すいません。

 最後に、ニキ・ド・サンファルのアートに、大きな愛と感謝を。ぼくは彼女のアートにたくさん救われてきました。

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 ニキ・ド・サンファル 「木陰の花嫁」 1963-64

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 ニキ・ド・サンファル 「翼を広げたフクロウの椅子」 1999

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