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ジョルジュ・ルオー展 内なる光を求めて へ行ってきました

美術展覧会レビュー

 

 出光美術館で開催されている「ジョルジュ・ルオー展 内なる光を求めて」へ行ってきました。出光といえば、ルオー、或いは、仙厓、という感じなので笑、「もう何回足を運んでいるんだ、いったい、おれは」という感じなんですけど、先日の「ゴーギャンとポン・タヴァン」の展覧会で、ルオーの晩年の作品に触れてしまい、「やっぱり、すげぇ~」と打ちのめされてしまったので、行かない予定だったんですけど、週末にこそこそ出かけてまいりました笑

 

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www.idemitsu.co.jp

 ジョルジュ・ルオーという画家は1871年生まれ1958年に没している、20世紀を代表するフランスの画家です。「絵画史的」には「フォーヴィズム」(野獣派)に分類されますが、少なくともぼくはルオーをフォーヴの画家とは一度も思ったことがありません。

 フォーヴィズムとは色彩に強い表現を見出した画家たちの呼称で、20世紀のモダンアートを開拓したパイオニアといっていいと思いますが、筆頭がアンリ・マチスで、ほかに、モーリス・ヴラマンク、アンドレ・ドラン――ぼくの大好きな画家のひとりですが――、ラウル・デュフィがいます。

 ルオーって、どんな画家? と聞かれてぼくが一言で答えるなら、「ベートーベン的画家」だとこたえます。理由は、レビューを読んでもらえればわかると思います。

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「Ⅰ 初期の水彩画と油彩画」(1898-1919)

 今回の展示は5つに分れています。一つずつ内容を紹介していきます。

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 ジョルジュ・ルオー 「客寄せ」 1919

 まず、初期の頃のルオーの作品が、最初に展示されてあります。ルオーは「象徴主義」を代表する画家、ギュスターブ・モローに師事をしたんですが――マチスもモローが師匠です――、「象徴主義」はルオーにも影響を与えているとぼくは思います。最初ルオーは道化師や娼婦など下層民たちの絵をたくさん描くんですけど、ルオーの画家としての出発点は、スポットライトの当たらない、彼ら下層民たちに共感した「苦悩」にこそありました。たとえば今回の展示では、華やかなスポットライトを浴びて拍手喝采された道化師ではなく、表舞台から降りた彼らの陰鬱な表情を捕えられたものが多々見られます。

 ルオーは実際若い時、彼ら下層民たちと暮らしていたのです。彼が画家を志したのは、己の苦悩も含めて、彼らを「救済」しようとした点にあったといって疑いないでしょう。

「Ⅱ 中期の水彩画と油彩画」(1918-1934)

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 ジョルジュ・ルオー 『ユピュおやじの再生』から「困り者植民者」 1918、1928

 画家として成熟したルオーは代表作となる銅版画集『ミセレーレ』の製作に取り掛かります。彼の技法の特質としてスクレイパーというものがあります。スクレイパーとは絵の具を削り取る美術道具のことですが、モノクロームの銅版画では、これを用いることでまるで光を放っているような効果をもたらします。これがルオーにひとつの啓示を与えます。

 画商のヴォラールに『ユビュおやじの再生』という小説の挿絵を頼まれて、原画を描くことになるわけですが、それは色彩で描いたものでした。しかし、ルオーは版画に敢えて製作し直す試みをしています。ルオーとヴォラールとの関係はけっこう複雑なものがあるのですが、これは後に述べます。とにかくこれらの作品が素晴らしいのです。モノクロームの濃淡を追求した時期の輝かしいルオーの作品が、ここに見ることができます。

「Ⅲ 銅版画集『ミセレーレ』とその周辺」(1918-1928)

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 ジョルジュ・ルオー 『ミセレーレ』42 母親に忌み嫌われる戦争

 たぶんルオーがその画家としての生涯で、最も精神を削って、時間をかけて製作したのが、『ミセレーレ』です。この銅版画集は全部で58点あり、今回の出光美では前期と後期にわけて、そのうちの数十点を鑑賞することが可能ですけれど、『ミセレーレ』は世のすべての苦悩を引き受けるキリストの姿と、人々の悲惨な姿が描かれたあと、そのすべてを浄化して神による救済を約束する磔刑図や聖顔が描かれて終わる、いかにもルオー好みのストーリーです。

 ルオーはこの時期、同時に石版画集『回想録』というものも製作しており、先に述べた彼の恩師であるモローの生誕100年を記念して作ったものなんですけど、他にもルオーが敬愛してやまなかったブロワやボードレールルノワールドーミエ、ユイスマンらの肖像画も、ここには描かれてあります。墨一色に塗られたこれらの人物画は、虚飾的でもなければ内省的でもなく、まさに的確な人物画です。ぼくはここに20世紀的レンブラントを垣間見ます。ルオーはここに文章も載せたようです。

「Ⅳ 連作油彩画≪受難≫」

『ミセレーレ』と同時進行で進められていた、アンドレ・シュアレスの宗教詩『受難』の挿絵原画をもとに、ヴォラールの依頼により描かれたのが、この時期の連作となる『受難』です。題材は「キリストと市井の人々」という、やはりルオーの馴染み深いテーマで、彼は82点の木版挿絵用の原画をここで描いているんですけど、以前とは逆で、油彩にしあげています。スクレイパー技法ではなく、オートパートという絵の具を盛り上げる技法を用いていて、この用途は晩年のルオーの最たる芸術的価値を生み出すものとなって、さらに発展していくことになります。

「Ⅴ 後期の油彩画」(1935-1956)

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 ジョルジュ・ルオー 「優しい女」 1939

 オートパートの技法を多用し、厚塗りのマティエールが露わとなった油彩画が、ルオーの晩年の作品の特徴です。色彩も以前とは打って変わって豊かとなり、ここに至って、輝き=救済としてのルオー的「宗教的風景画」が完成された、といってよいです。ルオーの作品において、絵の具がなぜこれほど盛り上がるのか。それは「実態」へと近づこうとするためであり、実際にそれは「本質」へと迫っている印象を、ぼくは受けます。色というより、これは明らかに光です。信仰そのもののヴィジョンを開眼させるのが、ルオーの絵なんです。

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 今回のジョルジュ・ルオーの展覧会は、彼の画家としての全体の軌跡を辿ることのできる絶好の機会です。

 初期におけるルオーの特徴的な黒い線は、困難であると同時に、救済を表現しようとしたものです。最初「黒」にこそ彼の精神性は深い意味を持っていたと思われます。それは不幸や貧困や苦悩を示しながら、同時に可能性をも示す色でした。それはやがて削り取られて白く輝くようになり、やがて「溶岩のような」と評されるマティエールへと変貌して輝きに満ちてい きます。

  ぼくは「ルオーの芸術」とは、実際に自分が受けた私的傷痕から先達者らを引用し旧芸術を弾劾していった、まさしく前回書いたニキ・ド・サンファルの創造性などとは真逆の、その確固たる芸術的立場から深く追求された、極めて孤独な精神世界の探求心の賜物だと思っています。

 先述したように、実際ルオーは貧しい中で育っており、下層と呼ばれる人たちと共に暮らしていましたが、ヴォラールという画商と契約することで、これを脱する機会を得ました。これを契機に幸いにして、画家として成功するチャンスを得るわけですが、その後のヴォラールの意向に沿っての画家としての道はルオーのその後の作品制作や姿勢を見るなら、立場を窮屈にしていったものとも、同時に考えざるをえないでしょう。

 ヴォラールはすべてのルオー作品は自分のものだ、と宣言したそうですが、実際にそのためにルオーの作品は他の画家に比べて世に出回らず、さらにルオーは納得がいく作品ではないものは完成作とは認めなかったため、結局300点以上の作品は自らの手で焼却処分されています。

 今回は未見だった作品をたくさん鑑賞できたことはよかったですが、そして最後に一点だけ。

 晩年の彼の最大の傑作、今回のチラシの絵にもなっていますが、「秋の終 わり」と題されるシリーズも一点展示されてあったのですが、汐留ミュージアムにある「秋の終わり」にはやはり敵わないので、いくらか気落ちしたことは、正直いって否めません。できればこの出光美のルオー展を鑑賞 し終えた後で、汐留に行ってその「秋の終わり」を見るのが、最適でしょう笑 

 とにかくジョルジュ・ルオーの絵は、嫌いだ、という人はいないと思います。少しも難解じゃないですし、彼の絵はいつもぼくらと共にあります。精神性が高く、文学的であり、画家としても一流で、市民の苦悩を描き、晩年に救済と歓喜をもたらしたその芸術家としての人生は、やはりぼくにベートーベンを想起させてやまないのです。