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スペインの彫刻家 フリオ・ゴンサレス ピカソに鉄彫刻を教えた男 世田谷美術館に行ってきました 

 

 世田谷美術館で開催されているフリオ・ゴンサレスの展覧会に行ってきました。ゴンサレス(1876-1942)は、コンスタンティンブランクーシ、アルベルト・ジャコメッティと並び称される、モダンアートの3大彫刻家といってよいくらい後世への影響は大きいんですが、たぶん日本ではあまり有名じゃないのかもしれません。

 最初は油彩画を手掛けていましたが、本格的に彫刻を究めていくのは、50代にもなってからです。もともと実父が金工職人であり、彼にとって鉄は身近なものであって若い頃も彫刻作品を出かけていたわけですが、その時期の作品は「金属装飾品」という要素が強かったようです。それはあくまで生計をたてるものとして、ゴンサレスにとっては存在していたわけです。

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www.setagayaartmuseum.or.jp

 展示は6つに分かれています。

「1 金工職人としての仕事」

 若かりし頃のゴンサレスの「金属装飾作品」が10点ほど観られます。アクセサリーやブローチ、とりわけ菊の花の細工はみごとです。

「2 彫刻家への道程」

 第一大戦後になると、金属装飾品の加工だけでは生計が成り立たなくなり、ゴンサレスはルノーのガス溶接会社に勤めます。ここで習得した溶接技術が、後の彼の彫刻家としての成功を大きく開花させていくことになります。

「3 彫刻家の誕生 -平面から立体へ」

 金属板を使ったゴンサレスの初期作品は、人物が平面から浮き出るように叩き出される手法で製作されているんですけど、それがだんだんと人物の輪郭、特徴的なのは、たとえば顔などに切り込みを入れ、全体を切り抜いて、折り曲げたり、別の板に溶接したりする、自由な方法が試みられていきます。

 ブランクーシが独自の抽象表現を模索していったように、ゴンサレスもモダンアートとしての独自の彫刻形成を研究したとみてよいです。それは平面の金属板の中にいかに立体的な作品を作りだすのか、という試みで、これはその後さらに発展して、ゴンサレスの彫刻作品に劇的な変化をもたらします。

「4 空間とのコラボレーション -素材としての空間」

 ゴンサレスは自分の方法論であった2つの方向性を組み合わせだします。金属板の平面を使って空間を獲得しようとする方法と、金属の細長い棒を溶接して配置することで、独特な作品を作ったのです。「立つ人」(1935)などはその象徴的作品で、ほとんど人と化していない金属棒が奇妙なふうに空間に立脚しているんですけれど、アンバランスとしかいえないこの形が、不思議な調和を保っています。アレクサンダー・カルダーの「モビール」に似てます。この時期の作品は「空間のドローイング」と呼ばれているようです。

「5 石の頭部 -量塊をめぐる試行」

 さらに同じ時期、同時にゴンサレスは、石を削り、重量感に満ちた頭部のブロンズ像も作っているんですが、これは当時は直接床に置かれて展示されていたという話で、実際今回、頭部は横たえて展示されてありました。たぶんここにこそ、ぼくはゴンサレスというアーティストの核心部分が潜むと思いました。彼は作品とはアーティストが基本手がけるものであっても、本質はその素材にあったと、考えていたと思います。頭部は横たえられることで、本当にそこにある石のように、重量感を増します。ゴンザレスは物質を用いることで生命観を導きだそうとしたのだと思います。

「6 終わりなき探究」

 最後は彼の晩年の作品が展示されています。

 第二次大戦が起ると、その時代状況への怒りと悲しみが満ち、ゴンサレスの作品にもその影響が色濃くなっていきます。戦争での物質不足のために、鉄彫刻を作ることが不可能になり、彼はドローイングと石膏に取りくむことになります。

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 今回の世田谷美術館におけるフリオ・ゴンサレス展は、国内初の個人展覧会ということで、「座る女」(1935)、「ダフネ」(1937)など、彼の代表作も観られたので、個人的にはとても満足です。彼の作品の俯瞰して辿るのにも、とてもよい企画だったと思います。ただ、ひとつ、今回、企画展のグッズがなにひとつ販売されていませんでした泣。なにか権利上の問題があったんでしょうか。このような展覧会はときどきあるんですが……。図録は売っていました。

 あと、会期は2015.8.1~2015.12.6までなのですが、「ミュージアムコレクションⅡ」として「おもしろいかたち・いろいろ」と題された、世田谷美が所蔵するコレクション展もいっしょに鑑賞できたのが、ぼくにはお得感満載で、ぼくの好きなイタリアの抽象画家のジュゼッペ・カポグロッシのリトグラフが10点ほど見られましたし、国立新美で鑑賞したばかりのニキ・ド・サンファルの「ナナ」像とも再び遭遇して、やはりぼくの大好きなクロード・ヴィアラの作品も一点だけですが、展示されてありました。ほかにもいくつかの展示会の作品も観られたんですね。

 さらにぼくが世田谷美術館が好きなのは、ここかなり充実したライブラリールームがあるんです。過去の世田谷美の企画展の図録はもちろん、日本画、西洋画、モダンアートに関わらず、美術本のコレクションはかなり豊富で、何時間いても飽きません笑 この日もだいぶここで美術書を読んでいました。美術書って、どれも高いでしょ。

 母国スペインで内戦中の1937年、パリで万博が開催されました。やはり故郷で起った惨劇を壮大な作品にしたピカソの傑作「ゲルニカ」といっしょに、当時ゴンサレスの「母子像 モニセラ」も展示されました。ゴンサレスは生前こんなことをいっていたといいます。美術展の最後にこの文言が書かれていました。

「幾世紀の昔、鉄の時代が始まった。美しいものがたくさん生まれたが、不幸にもその多くは武器だった。今ようやく、この物質には、芸術家の手によって叩かれ、鍛えられるための扉が、開かれるのだ」(1931-1932)

 今回のレビューは作品の画像が乏しくて申し訳ないですけど、実際に美術館に行って、その目でフリオ・ゴンサレスの作品を体感してほしいと強くぼくは思います。

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