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ニュー・オーダー どこにも行けない音楽をめぐって

音楽

 

 昨年(2015.9)新譜を出したニュー・オーダーが、今年は29年ぶりの単独来日公演、ということなので、彼らについて書きます。ニュー・オーダーって、若い人はほとんど知らないと思う。新木場でのライブにぼくは行きますけど、ライヴ・レビューについては多くの方が、もっと熱く語ると思うので、ぼくはマイペースに彼らの「音楽」について、思うところを淡々と述べたいです。彼らの音楽はぼくの人生にとってかなり重要だったし、今もそうなんです。

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 ニュー・オーダーはパンク・ムーヴメントに触発されて結成されたバンドです。1970年代半ばにイギリスでパンク・ムーヴメントがありました。今の若い人はパンクすら知らなかったりするかもしれません。主要メンバーは以下の四人です。

 バーナード・サムナー ボーカル、ギター、キーボード。通称バーニー

 スティーヴン・モリス ドラム、キーボード。

 ジリアン・ギルバート キーボード、ギター。

 フィル・カニンガム ギター 、キーボード。

 一度はやめるといったり、またはじめたり、主要のメンバーであったベーシストのピーター・フック(通称フッキー)が抜けたりしてますが、なんやかんやと今なおバンドは継続されています。でも彼らが主に活躍したのは1980年代だった、といっていいでしょう。前身として、ジョイ・ディヴィジョンというバンドをやっていて、ジョイ・ディヴィジョンが活躍したのは、パンクの熱が冷めかけた1970年代の終わり頃、そのバンドが活動を停止した後にできたのが、ニュー・オーダーです。なぜジョイ・ディヴィジョンが活動停止したのか。そこからこのレビューははじめたいと思います。

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 マンチェスターという街はイギリスの北部に位置していて、南部にあるロンドンとスコットランドのちょうど中央辺りに位置しています。ぼくはマンチェスターという街には行ったことがないんですけど、行ってきた、住んでいた、という人には何人か会ったことがあって、聞くと、なんか皆印象が違う。たぶんそれはそれぞれの目的意識の違いから発生するズレなんでしょう。ただロンドンとは違う、ということは一致しています。

 もともとは工業都市として栄えたイギリス北部の最大の街であったんですけど、マンチェスターは、いわゆる「終わった街」として認知されているのが通説です。そもそも産業革命後ひと段落したイギリスは植民地支配、後は金融に頼る国家政策が基本で、イギリス自体が終わった国である、といってもいいです。そもそも21世紀に入り資本主義自体が世界的に斜陽にあるのは事実なので、ぼくはべつにかつての大英帝国をディスっているわけじゃありません。

 ジョイ・ディヴィジョンについて詳細に知りたい方は、映画『コントロール』(2007)を是非ご覧になって欲しいです。イアン・カーティスの伝記映画なんて本当にやんのかな? ってぼくは最初は半信半疑だったんですけど、日本でも劇場公開されて、ぼくも観に何回か通いました。普通にDVDでレンタルできます。カンヌ国際映画祭での評判もよく、史実に基づいた正当的な伝記映画として実によく当時の彼らの様相を伝える作品となっています。イアン・カーティス扮するサム・ライリーのステージ上のダンスなどほとんど完コピです笑。


Joy Division - Dead Souls (Performance From "Control")

 ジョイ・ディヴィジョンはパンク・ムーヴメントに触発されたバンドです。後にニュー・オーダーとなるメンバー、そしてイアン・カーティスらは、その故郷であるマンチェスターで公演したロンドン・パンクの祖セックス・ピストルズのライブを観て衝撃を受けて結成されます。「これなら、おれらにもやれんじゃね?」というのが、彼らの動機です。実際パンクというのは、産業化されたロックをストリートに取り戻すことを宣言した労働者たちによる音楽革命でした。実際その後、雨後の竹の子のように、ピストルズ以降似たバンドが続々とイギリスでは誕生していき、クラッシュとかジャムとかダムドなんかも有名どころでしょうけど、ジョイ・ディヴィジョンも最初は彼らに似て、まさにパンクとしかいいようがないタテのりの絶叫スリーコードの音楽を奏でていました。それらは初期の頃の音源を集めて再発されたCDで聴くことが可能です。当時彼らはデヴィッド・ボウイの曲からとった「ワルシャワ」というバンド名を名乗っていました。

 

Warsaw

Warsaw

 

 

 しかし、早々と彼らはその音楽性を変化させていきます。これは実はクラッシュや、ピストルズを解散させてPILを結成したジョン・ライドンなんかも同じで、ぼくはジョイ・ディヴィジョンは同じようにロックを変化させていった同時代のワイアーの影響がとても強いと思っていますが、ジョイ・ディヴィジョンというバンドの特質は、クラフトワーク、ノイ、カン、ファウストらのジャーマン・プログレを通過して、ダンス・ミュージックに接近した、という試みにあったと思います。1stの『アンノウン・プレジャーズ』(1979)で聴けるのは、イギリス版クラウト・ロックといってよいものでしょう。ジョイ・ディヴィジョンにその手のダンスサウンドや電子音楽を持ちこんだのは間違いなく、ヴォーカリストであり、バンドのフロントマンであったイアン・カーティスです。イアンはドイツのダンスミュージックの熱狂的な信者だったといわれていて、彼はドイツ自体に狂っていた、という証言もあります。でも、そのジョイ・ディヴィジョンの音楽を聴いて、これがダンスか? って多くの人は思うでしょう。表れているのはとにかくヘビーで暗く重たいサウンドで、イアンが歌う歌詞の内容も、絶望や徒労や心の渇きや苦しみなど、ネガティヴな言葉の残骸が砕けて散乱しており、ダンスといって思い浮かぶポジティヴな印象は皆無です。

               ※          ※

 ぼくはイアン・カーティスという人は間違いなくフランツ・カフカらの実存文学の影響を強くその詩作に受けていたと思います。JGバラードらのSF文学も読んでいたでしょう。余談ですが、後にウィリアム・ギブソンジョイ・ディヴィジョンの音楽を聴いて、サイバーパンクの名著『ニューロマンサー』(1984)を書いたといってますけど、これ、本当なんですかね。癲癇の症状を持ち、不倫関係にも悩むようになり、2ndアルバムの『クローサー』(1980)も完成して、いざアメリカツアーに向かう、といった矢先、そのイアン・カーティスは自宅のキッチンで首つり自殺を遂げて、自ら命を絶ってしまいます。

 彼の歌詞を読むと奇妙です。訳詩でもよいので、イアンが書いた歌詞を読んでみて欲しいです。素晴らしい詩人だったロック・アーティストはたくさんいますけど、ぼくはイアン・カーティスがこれまでのロック史上最も文学的な詩を書いたと思っています。

 ぼくにはどうにもイアンという人はバンドをやりながら死に吸い寄せられていったとしか思えないんですね。後年メンバーは「どうしようが、結局死ぬやつは死ぬんだ」とイアンのことをいってますけど、ぼくは音楽をやっていなかったら、彼は死んでいなかったと思います。不倫や癲癇の病が彼を死に導いたんじゃなく、音楽が彼を死へ運んでいったんです。これは映画の『コントロール』にも描かれているんですけど、彼はバンドをやる前に役所に勤めていたんですが、障害者に仕事を紹介する部署に勤めていたんですね、そこで癲癇の患者の発作を目の当たりにするんですけど――このときイアンはまだ発病していません――、明らかに健常者からではなく、患者の視点でその事態をとらえているんです。

 2ndになると、さらにその重たいサウンドはずしりと低音を響かせ、シンセサイザーは1stよりさらに導入されているにも関わらずダンスとはさらにほど遠い異様なる音楽に移り変わっていきます。そして不思議なのは、この異様に重たく暗いヘビーなサウンドが、たとえば後のミニストリーナイン・インチ・ネイルズのような音楽とは異なり、どこか荒涼として、空虚で、冷たいんですね。ここに現れているのは、パンクによって、自分たちにもやれる、と思ってはじめたバンドに対する希望が喪失してしまった虚無感にほかならないでしょう。絶望や悲しみというより、虚無感です。結局パンクの理想など叶うものではなく、多くのバンドも空中分解か、メジャーに吸い取られて、挫折を余儀なくされました。ジョイ・ディヴィジョンの音楽はまさにその時代を奏でた音楽だといえます。それは絶望さえ通り越し、あらゆる感情を失ってしまう時代の虚無感です。「アイス・エイジ」という曲で、イアンは「ぼくたちは氷の時代を生きている」と歌っています。イアンは自ら命を23歳の若さで絶ちました。

 

Unknown Pleasures (Bonus CD) (Reis)

Unknown Pleasures (Bonus CD) (Reis)

 
クローサー

クローサー

 

 

 ぼくが最初に聴いたのは、2ndの『クローサー』(1980)でした。当時は狂ったように、これだけ聴いていましたね。オールタイムのアルバムのベスト10を選べ、といわれたら、間違いなく入ります。メンバーも気に入っているみたいです。どの曲もよく、構成的にも文句のつけようがない完璧なアルバムでしょう。

 フロントマンを失った残された後にニュー・オーダーになる面々はもちろん底なしの絶望に突き落とされることになるわけですが、当時の所属していたレーベルのファクトリーでも、彼らに期待する人物などもちろん誰もいませんでした。ここからニュー・オーダーとしての彼らの模索がはじまります。

               ※          ※

 もともとろくに楽器もできない形でバンドをはじめた彼らは――実際に多くの人が史上最高に下手なライヴバンドと彼らのことをいっています――、最初は互いに楽器を持ちかえたり、それぞれのメンバーが歌ったり、ジョイ・ディヴィジョン時代の名残を惜しむようにその延長線上の音をやろうとしたり、さらに、メンバーが足りないっていうんで、ドラムのスティーヴン・モリスの彼女がキーボードを弾けるというだけの理由で、そのジリアン・ギルバートを新メンバーとして迎え入れたりします。なかなかうまくいかない。そんなことをやっていては、当たり前です。さらにもっともっと電子音楽を取り入れ、ロックの解体を進めたサウンドへと走り、まともに歌いもせず、楽器も捨ててしまい、ジョイ・ディヴィジョン時代においてもやせ細って下手で音を削っていった方法意識だったのに、とにかく積極的なものをさらに全力でそぎ落としていきます。

 余談ですけど、ぼくは10代の頃バンドをやっていました。サブ・カルチャーが隆盛を見せていた「1960年代」という黄金期をもちろん知らない世代です。いつかまではポップ・ミュージックというのは、たとえば哲学や文学らのファインアート的と呼ばれる分野のものには劣る、という偏見が少なからずありました。とりわけ戦後アメリカ文化の支配下に置かれた日本には、語るに値するカルチャーなどどこにもない、と思っていました。所詮子供から金をせしめるものなんだろうな、と。

 でもその考えを木端微塵に粉砕してしまったが、ニュー・オーダーなんです。ぼくにとってはビートルズ以来の衝撃でした。ぼくにとってビートルズの次に大切なバンドがニュー・オーダーです。本気です。彼らの音楽はぼくの人生を変えてしまった。彼らの音楽はぼくにとって今なおかけがえがないものなんです。

 試行錯誤の末、やがて彼らはひとつの突破口を見いだします。彼らの人気を決定づけたものに「ブルー・マンデー」という曲があります。これはイアンのことを残されたメンバーが歌ったものなんですが、イアンは日曜に自宅で自殺をしたので、それをメンバーが知ったのが月曜だったために、「ブルー・マンデー」なわけです。その日のことを歌にしました。この曲が今聴いても新鮮度を失っていません。

 


New Order Blue Monday 12 inch HD 1080p

 

 ここに現れている音楽的方法論は画期的で、今聴いても凄いんですが、いろいろ新しいことはあるんですけれど、端的にいうと、ロックと電子音楽を融合したサウンドとしての古典中の古典という位置づけでしょう。でもこの曲がなぜそれほど多くの人の心を揺り動かし、ぼくにもまたそれほど衝撃を与えたのか。理由は、彼らはここでなにもしていないから、ということです。

 

 どんな気分だい?

 君といたとき ぼくは確かに君の言葉を聞いたと思ったのに

 ぼくらの前を歩いた人たちは 自らの使命のために生きた

 彼らは未来へと歩み 決して過去へ振り返ろうとはしない

 でもぼくにはぼくがなにをいったらいいかわからない

 君がいなくなったとき ぼくは自分が理解してもらえないからだと思った

 ぼくがどう感じたらいいのか教えてくれ

 今もぼくはここで待ちつづけている

  (ブルー・マンデー / ニュー・オーダー)

 * ぼく自身が歌詞を適当に抜粋して訳しました。

 ここで歌われているのは、友達を失った悲しみでもないし、未来へ託す新たな希望の発見への躍動でもありません。彼らはただ途方に暮れているのです。そもそも、自分がどう思ったらいいかもわからない、とさえいっています。そしてただひとつの確固たるのは、「死」です。それを直視しているのが、この音楽です。イアン・カーティスの死はほかのロック・ミュージシャンと違い、「神格」からはほど遠いものです。それは突然やってきました。

 人は本当に大切なものが失われたときどうするのか。あるはずのものがないそのときどうするか。

 そんなとき悲嘆やせつなさの感情さえなくなって、ただなにを思っていいかもわからなくなるんじゃないのでしょうか。説明がつかないんです。文学的にいうなら、要するにどんな形であれ、「意味」づけることが不可能になる、すべてが「空虚」になる、ということです。彼らが、とうとうここで「ロックの死」のみならず「歴史の死」を体現してみせた、というのは実際真実でしょう。

 ぼくは先ほど「終わった街」としてのマンチェスターについて言及しましたけれど、ニュー・オーダーの音楽は資本主義の終焉と重ね合わせられる哲学も含まれていて、テクノロジーや経済、政治という観点からみてもとても興味深いのです。彼らはヘーゲル=ベートーベンに代表される西洋文化が内包する「成長概念」を解体しています。

 世界的に見ても、ニュー・オーダーがいなかったら、その後の1990年前後にマンチェスターで隆盛したアシッド・ハウス・ムーヴメントは存在しなかったに違いないでしょうし、デトロイトで起こった黒人によるテクノも違ったものになったかもしれない。レディオ・ヘッドもいなかったかもしれないし、ジョイ・ディヴィジョンに影響受けた音響派のバンド群、たとえばモグワイも存在してはいなかったかもしれない。

 ニュー・オーダーは「ブルー・マンデー」の成功をきっかけに、その音楽をさらに解体/構築していきます。

 そして、ここでもまた少々、直接的にではなく、ひねくれた性格の彼らは、どんどんテクノミュージックに接近し、ダンスバンドに変貌していくのか、というと、そうはならなかったりするのがおもしろいところで笑、繰り返しますが、彼らは出発から終わっているんです。

 彼らはどれだけバンドが大きな存在になっていこうとも、マンチェスターというその自分たちの北部の地元の街にこだわりつづけました。そのマンチェスターで巻き起こった、後のダンス・カルチャーに決定的な影響を及ぼした様を描いたアシッドハウス・ムーヴメントの映画『24アワー・パーティー・ピープル』(2003)の主題歌ともなった、彼らの代表曲のひとつでもある「ヒア・トゥ・ステイ」という曲では、そのことが高らかに、けれども、やはり彼らの他の曲同様、とてもメランコリックにうたわれています。

 そこにはクラブサッカーチームのような同郷のよしみ、ということもあるかな、とは思いますけど、彼らの哲学からしたら、違うでしょう。どこへ行ったって、本当は誰もどこへも行けはしないからです。それが彼らの音楽です。


New Order-Here To Stay

 

 ニュー・オーダーの代表作はたぶんジョイ・ディヴィジョンから脱却し、その魅力を決定づけた2ndの『権力の美学』(1983)でしょうけれど、一作となると、80年代のシングル曲を全収録した『サブスタンス』(1987)になる変則的選択は、ファンなら全員同意してくれると思います。80年代の彼らはシングル曲はアルバムには収録しない方針で、理由は、異なる方向をそれぞれで目指していたからです。シングルはダンス色の強いものを、アルバムはロック寄りのものを製作していました。

 なぜ、そんなことをしていたのか?

 彼らが死を直視したところから、途方に暮れた曲から出発した、と先に書きました。そしてニュー・オーダーというバンドは、それ以降もずっと生死の境を彷徨い、途方に暮れたままなんです。

「君たちのアルバム制作はいつも遅いがいったい誰がバンドの足を引っ張っているんだ?」といった記者の質問に対し、「イアンじゃないかな」とメンバーが応えた有名なエピソードがあります。

 最初彼らはジョイ・ディヴィジョン時代の音楽は一切演奏しませんでした。けれど、21世紀にも入る頃になってだんだんと当時のナンバーを奏でるようになります。これは吹っ切れたということを意味しません。アンコールはたいてい、イアンが死んだあとに発表され、ジョイ・ディヴィジョンの代表する名曲のひとつとなった「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」です。ここでイアンはこう歌っています。

 愛が、愛が、再びぼくたちを引き裂いてしまう……。

 彼らの音楽は今なおぼくと共にあります。どこへも行けないぼくらとともに。

 

Substance

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