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熱帯魚 吉田修一

日本現代小説

 

 現代日本の小説家で女性の天才タイプは多いと思いますけど、男性では珍しいのが吉田修一だと僕は思っています。吉田という人は天才だと思って疑いません。初期の頃から作風は変化していっていますが、――分岐点は『悪人』(2007)だったでしょう――、でも、吉田の持ち味である文学性は変わっていないと僕は思っています。僕が最初に読んだ彼の作品がこの『熱帯魚』(2001)で、これは彼の二作目にあたる短編集です。

 文春文庫の作品集には「熱帯魚」「グリンピース」「突風」という三篇の作品が収められています。

 タイトル作の「熱帯魚」は、吉田の作品の中でも、とにかく絶品の短編といってよく、内容は、一見よくあるような地味な話で、連れ子の女性と暮らすことになった大工である主人公が、ちょっとした浮気心から女を誘い、そこからの報いのように火災を起こしてしまって災難をこうむってしまう、という単純といえば単純すぎるストーリーです。ただちょっと人物関係が変わっています。
 

熱帯魚 (文春文庫)

熱帯魚 (文春文庫)

 

 

「熱帯魚」

 主人公である彼の家にはひとりの居候がいます。義理の弟なんですが、彼は仕事もせずに日がな一日熱帯魚を見て暮らしている風変わりな男です。主人公と弟 は以前二年だけいっしょに暮らしていた時期があるようで、再婚した両親が再び離婚してしまい、ふたりは離れ離れになっていたらしい、など、なんだかそんなふうに曖昧に書かれています。そして再び奇妙な生活をはじめるに至った、と。

 この小説はこんな出だしではじまります。こういうところに吉田の文学性がほどよくスパイス的に潜まれていて、この「熱帯魚」という作品には、吉田修一の特徴的方法が随所に見て取れるのです。

 

 炎天下、現場裏の仮設便所の前に、蹴られて凹んだバケツがあった。大輔はドアノブを引く手を止め、何気なく中を覗いた。半分ほど入ったバケツの底に、夏日を浴びた青い半透明の百円ライターが沈んでいた。まるでインクがにじむように、水底を青く染めて。    (「熱帯魚」  吉田修一)

 

 たとえば、主人公が結婚しようとする妻の娘と、主人公の彼とは血の繋がりはありません。さらに義理の弟である人物ともやはり血の繋がりはありません。しかし、彼らは「家族」であり、その「家」に暮らすすべての人間が――母親と娘は違いますが――「共同体」です。
 血の繋がりが絶たれている者たちで、そのような人間たちがひとつ屋根の下に暮らすという生活自体実際よく考えてみなくても奇妙だといえば奇妙なのですが、この「兄」と風変わりな「弟」の関係がなにより奇妙であって、この《性格の対比》はこの作品の主題を丁寧に浮き彫りにした絶妙な構図だといえます。兄は快活で、よく働き、人当たりもよく、結婚をしようとしている善き人なのに対し、弟は実に不甲斐なく、得たいの知れない陰気な人物としてあらわされています。

 もちろんこれもありきたりなエピソード、対比の構図、といえばそうなのですが、吉田の特質性は、その叙述にあるんです。

 この小説のひとつの象徴的エピソードが、小説中にあります。兄が弟のために貯金した大金を叩こうとすることが描かれてある箇所ですが、そこでは彼が自分の〝弟〟だからという理由だけではない、なにかこの人生に対する“切実な思い”が投影されているのが見てとれるのです。

 他人であるにも関わらず自分が懸命になれるその奇妙な姿勢に、人生のなにがしかに接近しようとする衝動が潜んで、作品をまさしく出だしのバケツに沈んだライターのごとく、滲んだ光を放っておぼろげに揺らがせはじめます。彼は連れ子の女との未来を想像して、「そうしたら自分が強くなれる」といいます。

               ※               ※

 吉田は「パークライフ」という作品で芥川賞を受賞しました。それは偶然電車内で出会っただけで恋愛に発展しない男女の関係性を、“日比谷”という「都市」の風景の中に淡い襞で結晶させて、「酷薄の関係性」とでもいうべきドラマを鮮やかに描きだした傑作でした。僕はこの作品がとても好きです。
 吉田修一はそんなふうに都会に生きる人物たちの表層的な関係を好んで描くのが得意な作家です。その表層でしかありえない関係性の機微を抉り取るところにこそ、人間の真理に近づこうとする思惑を潜ませているのです。

 面白いのは、だからといっていかにもハイカラな都市生活者がそこに描かれているのではなく、吉田が描くのはたいした特徴もない底辺層ともいえる人物たちがほとんどです。底辺、という方は相応しくなく、一般大衆という意味で、名もない、という方が正しいかもしれません。彼の小説は実はまったく都会的ではありません。そしてハイカラでも消費的でもありません。ここに先行者村上春樹らの小説と吉田のそれとの「距離感」がうかがえます。いかにもさりげなく通俗小説ふうにそれを描いてみせながら、彼は現代日本の構造を記号的な観点と隔絶した視点で、極めて抽象的になぞっているのです。
 吉田は現代的な生活を送る人間たちをいかにも現代風に切り取ります。しかし、そこに埋没する姿勢を見せないのが特徴です。

 

「グリンピース」

  二番目に収録されているのは、「グリンピース」という作品です。

 この作品は同棲する恋人たちの生活をさりげなくユーモラスに描い た作品ですが、ここにも吉田特有の並列の関係性が露出されており、傑作だと思います。この後に発表される最初の長編である『パレード』(2002)で結実 する方法論に似た発端がここには見えますが、友人や恋人の関係が淡々と〝並列〟に描かれ、最後に地図を広げた上に空き缶を置くという「象徴」によって、作 品そのものがある種の繋がりの希薄な関係性という「都市」そのものの並列性を提示するような構成になって、作品は終わります。

 

「もう、どうでもいいじゃないか」と、僕は空き缶に書きつけた。少しだけ、楽になった気がした。

 今度は別の空き缶に、「どうでもいいのか?」と書こうと思った。しかし、途中で黒いマジックがかすれてしまい、何度振っても再びインクは滲まなかった。   (「グリンピース」  吉田修一)

 

 登場するのはやはりありていの今風の若い男女にすぎませんけれど、彼らは単に「現代」を生きる若者であるに留まらず、抽象化された「都市」を代弁した人物たちです。〝並列性〟と〝象徴性〟の記号性として描かれているわけです。

 

「突風」

 最後に収められている「突風」を読んで、これにも僕はびっくりしました。こんな小説も書けるのか、と思いました。

 二作品のような一見儚いコミュニケーションは、「突風」においては具体的な印象でさらに描写されています。商社に勤めるエリートサラリーマンの主人公はオープンカーで高速を走らせて、夏休みに九十九里の海岸で民宿のアルバイトをするというとっぴな行動に出るのですが、そこでひとりの年上の人妻と奇妙な知り合い方をします。

 そこにはセックスも、口付けも、恋めいたものも何もありません。淡い情事として描かれたこの作品を、単なる一夏の経験というふうには、どうしても読めません。夢のような男と女の関係性を軽妙に浮かび上がらせて、都市に生きる人間たちの存在性をやはり記号的に浮き彫りにしているのです。

 

 表層を描く吉田修一

 吉田修一の作品は発表されてから、ぜんぶ読んでいきました。とにかく僕は彼は新しい作家だと思いました。人間を「並列的な関係」として見るという、新たなる手法で日本の現代小説史に登場してきました。それをヴィヴィッドな視点でリアルに描き出そうとするのが彼の文学です。登場人物たちは記号であり、その役柄を一歩も越えることはありません。

 初期の頃に書かれた作品群はどれもそんな彼の才能が炸裂した傑作が揃っています。『悪人』以降の小説は、その発展形とみてよいでしょう。現代に生きるある種の困惑や空虚感に苛まれた人物たちを一見凡庸に映しだしながらも、どこで切れても終わってもよさそうな宙ぶらりんの関係として描いて、切実なコミュニケーションの感覚を注ぎこんでいます。
 彼らが何か大きな物語を演じるわけではありません。「グリンピース」の主人公など、浮気をした女との生活がこれからどうなるのかその前途は暗澹としたままですし、「突風」の主人公は邂逅した女性のことなどまったく忘れてしまって、それまでの物語はいったいなんだったのだ、と幾らか読後に肩透かしを食う印象さえうかがわれます。

 しかし、そのような《希薄な日常》に埋没しかねない風景を切り取りとって、そこに濃密な人間性を漂わせるところにこそ、独特の感性を息づかせるのが吉田の持ち味です。それは誰にも真似できないまったく稀有な方法だと思います。

 

 吉田文学の抽象性

 吉田は「最後の息子」という同性愛をテーマにした作品で文學界でデビューしました。最初の頃からとても小説が上手でしたね。
 とにかくその作家の自己というものを、作中人物の主人公とまったく切り話して書いたところが、まず画期的でした。人物たちは物語の性格をひとつも出るものではありません。吉田氏の描く人物は「都市的な記号」であり、まったく吉田氏とはかけ離れた人物たちなのです。
 彼は俳優が知らない世界の人物になりきるように、その「舞台」の人物になり切って小説を描きます。というより、吉田自体が「都市」そのもののようです。彼は近代小説を継承した純文学作家でありながら、『パレード』や『悪人』(2007)のような極上のエンターテイメントを書くこともできる変貌自在の作家でもあります。

 吉田は人物たちの表層的な関係を描くにも拘らず、その表層でしかありえない機微を抉り取る関係の中に、人間性を抉りとります。深海に潜む魚のグロテスクや川の流れの美しさを描写する作家は多々いますけれど、水面の波紋が実はいかに豊かな湖の真実を描いているのかを掬い取る作業は困難です。

 そんな誰にも真似出来ない優れた芸当が、吉田の小説を読むと、臆面もなく表れていることがとにかく驚きです。そのことに僕はいつも溜息を吐かざるをえないのです。

 

パレード (幻冬舎文庫)

パレード (幻冬舎文庫)

 

『パレード』(Kindle版・2002)  山本周五郎賞受賞作のエンタメ作品。最初に吉田を読むなら、これがいいと思います。後に行定勲監督・脚本、藤原竜也主演で映画化されました。

東京湾景 (新潮文庫)

東京湾景 (新潮文庫)

 

 『東京湾景』(2003) 吉田ファンでは少数派だと思いますが、ぼくはこれが吉田の最も良い小説のひとつと思っている作品です。後に仲間由紀恵主演でドラマ化されました。

悪人(上) (朝日文庫)

悪人(上) (朝日文庫)

 

『悪人』(2007) 妻夫木聡深津絵里主演で映画化されました。朝日新聞に連載中から話題で、実際吉田自身「はじめて納得がいく作品が書けた」といわせたノワールの力作です。

怒り(上) (中公文庫)

怒り(上) (中公文庫)

 

 『怒り』(2014)『悪人』に引き続き、同じ李相日監督、主演は渡辺謙森山未來松山ケンイチ広瀬すず綾野剛宮崎あおい妻夫木聡と豪華なラインナップです。音楽は坂本龍一が担当しています。2016.9/17公開です。