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青春の光と影

エッセイ

 べつにSMAP解散の記事を読んで、いやらしいPV数を増やすための便乗商法じゃないのだけれど。今回のSMAPの騒動を見ていて、なんとなくぼくが思い出した話です。

 ぼくは高校時代、とても仲のよいグループがいた。グループといっても、SMAPのように確固たる五人のメンバーというわけじゃなく、街に行くと、なんとなくたまり場となっている喫茶店に誰かがいて、引き連れライヴハウスに行くと、また誰かがいて、そのあと居酒屋に誰かを誘っていって、という具合に、バラバラではあったのだが、そこにはなんとはなしに漂う結束感、絆、つまり友情があった。

 断れば、あいつ来ないんだって、ってことになるし、なんで昨日は誘ってくれなかったんだよ、というふうなことだってあったし、そういう入るも自由抜けるも自由のユルユル感も、干渉嫌いなぼくにとっては居心地のいい空間だったのだと思う。

 男同士だけで、車に乗って遊園地に行ったりした。(留年していたりする奴がいたので、もう高校二年で車の免許を持ってる奴がいたりしたのです)〆は必ず、焼き肉で、飲む奴は飲んだけれども、よくつるむ連中はほとんど下戸だったので、それもぼくにはとてもありがたい事態だった。

 野郎ばっかりじゃなく、女の子も交じるときもあって、今考えると、信じられないが、普通にナンパしてたなあ~。それもほとんど断られることがなかった。だからといって乱交パーティーみたいな、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』みたいな退廃的な青春群像はまったくなく、洋服屋で働いている子が多かったんで、デパートで遊んだり、なぜかボードゲームをしたりしてた。なんで、あんなもので楽しめたのか。深夜に男女で、普通ならセックスするでしょ? 人生ゲームやってんだもの。それもさっきいったように、酒なし。カールとコーラで。誕生会もやったし、真夜中の海で泳いだり、浜辺で花火したり。お正月に羽子板やったりもしてたな。自前の凧作ってあげたり。田舎だったしね。

 あるときぼくがいちばん仲良くしていた同級生の奴が、

「こんだけ深く結ばれる間柄って、普通ないよな」っていって、

「そうかな」とか、ぼくはいったんだけど、

 その会話を今でもひどく印象的に覚えている。

 今日は動物園行くぞー、って誰かがいいだすと、車で早い時間に、まだ起きてるやつの家をひとりひとり訪ねて起こして回って、拾って乗っけてく。車足りないから、出せや、ってことになって、父親に貸してくれ、という。高速に乗るやいなや、猛スピードで走り出し、前走する車を追い抜くことに血眼になり、ハンドルにしがみつく。コンビニで買ったおにぎりが上手く開けられなくて、友達に開けてもらった記憶が今もある。

「こうやって、開けると、しっかり海苔がつくんだよ」

「おまえ、天才やろ!」

 幸せだった。

 バカみたいだが、幸せで、幸せで、しょうがなかった。

 付き合いは、ぼくが上京して、大学に進学してからもつづいて、田舎に帰省したときは、たいてい誰かと会った。でも、いくらかはよその土地へ進学をしていたし、あるいは、就職をしていた奴も多く、高校時代のように頻繁には会えなくなっていた。そうするうち田舎組の連中に、女が混じりだしたことに、あるとき帰省したときにぼくは気付いた。ぼくらはバンドをやっていたので、その追っかけみたいな女の子たちだったんだけれど、その子たちがそのあとはどこへ行くのにもついてくる。

 それまでの同級生たちの女の子たちは、来たり来なかったり、彼氏がいる子もいたし、機転が効く子が多かった。今日は行くとか。これで帰るねーとか。でも、それらのまだ高校一年や二年の年下の子たちは、どこかスレているというか、ある意味純粋というか、ぼくらの誰かと恋愛したくてしょうがないような感じだった。

 べつに彼女たちのせいじゃない。いつの頃からか、これはぼくの家族事情のせいなのだけれど、故郷に帰る頻度は少なくなったし、彼らの多くともぽつぽつと連絡がつかなくなった。あるときとても仲の良かったひとりの友達が、ぼくが連絡をとったら、急に電話を切った。理由は、当時ぼくはある女の子と付き合っていて、その子が以前彼に告白したことがあった子だったのだ。彼女も東京に上京していて、偶然ばったり東京駅の地下街で出会って、ぼくらは付き合うことになったのだ。べつに元カノじゃない。でもプライドの高い彼の神経を逆撫でしたところがあったのだろう。でも、そのときぼくはふっと思ったことがある。もし、これが高校生のときならば、こんなふうに仲違いすることもなかっただろうに、と……。彼は専門学校を一年で辞めてしまって、神経的に参っていた時期だった、と後で知った。以来、彼とは一切連絡が途絶えている。

 たとえば、その友人だけれど、当時付き合っていた彼の彼女は一個上で、ぼくらが高三のときに短大生でもう東京にいたんだけれど、ぼくは大学受験するときに、彼女の下北のアパートに一晩泊まったことがある。そのときぼくはそれを最初彼にはいわなかった。あとで知れたのだけれど、彼はそれほどぼくを怒らなかった。友達だったから。「もう少しで信頼を失うところだった」とはいわれた。「いってくれてよかった」といわれた。実際、ぼくと彼女のあいだにはなんにもなかったんだもの。ぼくは友人の彼女に手を出したりしない。

 その彼女に帰り際にいわれた。

「あいつ友達多そうに見えるけどさ……本当は心から理解し合えてる人っていないんだよ、ずっとこのまま友達でいてあげてくれる?」

「そんなの当たり前だよ、ずっと友達だよ」とぼくは笑顔でこたえた。「式は呼べよ」

 年をとっていくにつれ、若い頃は「永遠」と思われていた絆は、どんどん綻んで、やがてそれを無理矢理にひっつけようとすると、大きく引きちぎれてしまう。誰が悪いわけじゃない。そしてぼくは彼らと朝まで悪ふざけした頃のことを思いだし、ああいうふうに誰かを信じることがもうできないのはどうしてだろう、これほど他人に憎しみの火を絶やさぬ今の自分はいったいどうしてしまったんだろう、と呆然自失するのだ。