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出版社訪問記 第三話

創作日記

 先日の二話目からのつづき。原稿を持ちこみした北陸の編集長からお手紙をいただきました。書こう、書こうと思っていたら、更新がずいぶん経ってしまって。返事はわりとすぐに着た。マンションにペンネーム宛で送られてきたので、住居人確認の通知が郵便受けに入っていたのを見たときは、最初は嫌な予感が全開。本名以外で郵送物があるとしたら現在ひとつしか相手は思い浮かばない。しかし、現在編集者と作家とのあいだではメールか電話のやりとりが当り前で、たとえば下っ端の編集者が、高名な作家に対しての場合は、今でも一筆認める、というのは儀礼的にあるんだけれど、まあ無名のぼくの場合はこんなことはありえない。

 彼女は、ゲラを送ってきたんじゃないの? とlineしてきたけど、いくら誇大妄想狂のぼくでも、そこまでアホんだらなポジティヴ全開の展開を思いはしない。

 でも、そんなバカみたいないきなりゲラ原稿が送られることもないわけでもないんで。たとえばこっちが長期旅行にでも行っていたり、万が一紛失した場合どうするんだ、と思うんだけど、出版社というのは、口約束、後日連絡が当り前の世界で、そりゃ作家と版元がもめる事件も多発するのもさもありなんと思う。笙野頼子然り、絲山秋子然り、有川浩然り。でもね、これに関していうと、編集者にも同情の余地もぼくは感じていて、だって本当に彼らは常人の想像もつかないくらい忙しいんですよ。いっしょに食事をしていたとき、大げさじゃなく、五分置きくらいに携帯が鳴っていて、驚いた。メール一本打つ時間もないのか? とこっちは思うわけだけど、本当にないのかも、と実感したときがありました。

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 それで、その手紙だけど、最初葉書だろうな、と思ったんだけれど、在住確認を出したあと送られてきたのは封書で、恐る恐る中を開けて見ると、便箋一枚に、やけに達筆な文字で、ぼくがお会いした編集長直々に、今回わざわざ足を運んでくれたお礼と、原稿を拝読した件、そのちょっとした感想と、今後も益々のご活躍を願っております、という、至ってシンプルな、予想どおりの御挨拶返しのお返事だったわけだけど、安心半分、がっかり半分、これはこれでなんか複雑な気持ちになってしまったな……。

 作品の細かいところまでの言及はないし、これからのことについてとにかくなにも言及がない。すぐに読んでくださって、それでそのことについて知らせておきたい、と早急にお返事を書いてくださったんだと思うけど。ただ「持ってきてもらってもどうすることもできないよ」とおっしゃっていた長編を読んでくださったのはありがたい話。まあ、これが吉なのか、凶なのか、今のところはまったく判断がつかないなあ。

 話は変わるようだけれども、石田衣良さんは、デビュー直後、原稿依頼が来て、書いて提出したら、依頼だったにもかかわらず掲載してもらえず、突然半年後に、掲載する、との連絡がきた、とか書いてあるのを読んだことがあるんだけれど、結局のところ、一見ボツになりかかった、その作品がさらに二年半後にシリーズ化されることになって直木賞を招く結果になった作品だから、未来とはまったくわからないもの、とも、その文庫のあとがきで書いている。確かにまったく予測不可能なのが文芸の世界。お渡ししてきたぼくの原稿の行く先はどうなるのか。少なくとも今時点の判断では、保留、ということでしょうね。

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 今回の件で思い出したエピソードがあります。

 ぼくの好きな小説家、小山清三鷹太宰治宅――小山清太宰治の弟子です――を、原稿を所持して訪ねたことを「風貌」というエッセイに書いています。まだ文学青年だった、当時三十歳だった小山が原稿を持って太宰宅を訪ねるんです。「原稿を読んでください」というと、太宰は一瞬不機嫌な顔をする。一週間ほどしてもなにも返事がないので、三鷹に向かっていると、小山は太宰と対面する。「葉書を読んだのか?」といわれる。どうやら行き違いになったような塩梅だったわけです。太宰はその日入隊をした友人に面会するために急いでいたところで、一度家に戻って小山の原稿を受け取り、その彼への土産を作ってもらうため寿司屋に寄ってベンチに腰かけているあいだに、太宰はぱっと小山の原稿を広げて「ぼくはこういうところ好きだよ」と小山にいうんですね。家に帰ると、太宰からの葉書が届いていて、こう書いてあるという話です。「原稿を、さまざま興味深く拝読いたしました。生活を荒らさず、静かに御勉強をおつづけ下さい。いますぐ大傑作を書こうと思わず、気長に周囲を愛して御生活下さい。それだけが、いまの君に対しての、私の精一ぱいのお願いであります」

 小山はそれから、いても経ってもいられず、突発的に太宰宅を訪ねるようになるんだけれども。そうして、彼は井伏鱒二亀井勝一郎らとも知り合っていく。太宰からようやく紹介してもらって小山の原稿が文芸誌に掲載されるのは、ふたりが会ってから七年ほど経った後のことです。

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 一般的な持ち込みについてさらに話をしようかな、と思ったけど、まあやめます笑――いったんは書いたんだけど削除した――。これからのことも書こうかな、と思ったけれど、長くなりそうなんで、また次回に。

 とりあえず、次の会社に持参する「A作品」は、かなりライトな作風なので、これでなんとか引っかかりたい希望で、ダメだったら、別の社に行きます。水準は越えているんで、どっか出してくれるところはあると思って強気でいる。こういうところはなんだかひどく楽天的なんだな、いつもはひどいネガティヴ思考なのに笑。「B作品」は、これもそこそこライトだけど、明らかにエンタメではないので、「A作品」の実績ができなければ、持ち込みは不可能かな、と思っている。ので、なんとか「A作品」で実績作りたい。ダメだったら、それでもほかまわるか、どこもダメだったら、怨恨を募らせるか、筆を折るか、そのときまた考える。とにかくもう、ぼくは背水の陣なのです。「B作品」が出せれば、一定の評価は出ると思っている。

 しばらくは、編集長曰く、「お人柄と同じく作品にもピュアな感性が流れている」と感想を述べてくださったけど、その言葉を大事にして活動しようと思う次第。編集長直々に手紙をもらったのは初めてで、まあ、嬉しくないことはない。どうしようもなくなったら、個人的な創作塾でも開こうかな笑 ぼくはこれまでの人生を、文学やアートや映画や音楽にほとんど捧げてきて、それしか知らないから。