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出版社訪問日記 第七話

創作日記

 というわけで、またまた懲りずに行って参りましたが、やっぱりこのシリーズ、もうやめたいな。というか、終わらざるを得ない気がする。今回は名前出しちゃいます。今回ぼくが足を運んだのは、朝日新聞出版社です。そうです。ぼくが小説家として世界一尊敬する夏目漱石先生を日本初の職業作家として迎えた新聞社。今『吾輩は猫である』を連載しています。皆さん読んでますか?

 その書籍部にお勤めされているAさんとお会いしてきました。業界ではその名を知らない人はいない、といわれるAさんなんですけど、書いちゃっていいかなあ、業界の人にはわかると思うし、W大の人もたぶんわかると思うけれど、ご病気されていたらしく、もう現在は編集部にはいらっしゃらない。「掲載とか書籍とか、そういうのは今やってないからできない」と電話でそれははっきりいわれていたので、それは承知で伺ったんだけれど、とにかく出版社を回るたびに感じるこの疲労感はなんだろう、ということが、この日その輪郭がはっきりした。今回はいつにも増して憂鬱な記事内容です。

 これはもちろん、教え諭すためにおっしゃられているのはわかるんだけれど、聞かされている側には、愚痴にしか聞こえない。とにかくどこへ行っても、まず長々といわれることがある。本が売れない。さらに、文芸なんてまったく売れない、と。だったら、編集やめちまえ、と思うのはぼくだけか。少なくとも作家は書くことをやめていない。

 実のところ、ぼくはAさんとは、これまで一度しかお会いしたことがない。まあ、考えると、恐ろしいことしてるな、と思うけれど、それでも時間とってくださるんだから、やっぱり人格的に立派な方であることは確か。名刺もないことから、アドレスをたぶんぼくは人づてに聞いたんだと思う。年賀メールを何度かは送っていて、そのときちゃんと返信が来て、「いつでも相談にいらしてください」とおっしゃってくださっていた。

 場所は朝日新聞社内にある喫茶店。

「久しぶりだねー」とAさん登場。

「ご無沙汰してます」とどこの馬の骨かわからんおれ。

 とにかく、痩せられていて、びっくりした。話した内容はこんな感じ。けっこう長かった。1時間半くらいは、時間とってくださった。

「ぼくね、30代の頃は3割はヒット作が出せた、40代になったら、打率は1割になったよ」とAさんはいう。どうやったら売れる本が作りだせるのか。編集をやっているだけじゃダメだと思い宣伝部のほうへ移動願いを自ら出されたんだという。

「ご自身でですか?」

「とにかくヒット作、ヒット作出さないとダメなんだよ、今の業界は」

 ヒット、ヒット、を連発するAさん。

 今出版業界は売り上げがピーク時の半分くらいになってしまっているわけだけれど、出版界は本を出さないということじゃなく、それくらいヒット作が欲しい、ということで、小説は単行本→文庫落ちして、ようやく元がとれるもので、新人には三作やらせてみよう、が編集部の合言葉だったのも遠い昔の話。一作目で売れなかったら、切られるのが現状、というか、書籍が出るだけマシだ。

 原稿は読んで、お返事をいただけるらしいけれど、もう業界が疲弊していることがはっきりわかった。まあ、出版だけに限らないんだろうけれど。

 そういう意味で考えると、セルフパブリッシングで、売れる売れない関係なく、個人でネットで本を出していくのは、あり、だとぼくは大いにも思った次第だった。

 ぼくの場合「一般文芸」なので、ジャンルとして不利だから、出版というバックボーンがないと読まれない、と思ったので、紙の本、にこうしてこだわっているわけなんだけれど、出版業界では、その文芸ジャンルこそが最も売れない最大のお荷物にほかならない。

 Aさんがやれなくても、人脈があるわけだから、誰かを紹介してほしい、と虫のいい話を思って臨んだんだけれど、これは甘いというもので、これについてもかつてぼくも経験したよくある話だ、とちょっと思ったりもした。

 たとえば作家が自分の本を差し置いて、友達の本を出させたりしないのと同じ理由で、編集者も自らの利益においてしか「行動」をしない。紹介などをしたら貸しを作ってしまうわけで、それは自分の不利益として働く。逆に、万が一それがヒット作になろうものなら、耐えに耐えきれない事態だろう。今回お会いできたのも、たまたま運がよかったわけで、Aさんは退院されたばかりだった。先月に連絡していたら、会えていなかったかもしれない。連絡をくれるなんて嬉しい、とおっしゃってくれたのも、もちろん自らの「利益」のためだ。

「これからはいっしょに食事とかして、話をしよう」といろいろさらにおっしゃってくれたんだけれども、もちろん顔見せして人脈を大きく広げておくことはなにごとも大事なことだけれども、とにかく今述べてきたように、出版については問題が多すぎる。

 Aさんの好みとぼくの好みのジャンルがまったくかけ離れている。ぼくは草食系のアート系の地味めの文芸ジャンルであって、Aさんは犯罪ものや、どちらかといえば破天荒な自伝的なものがお好きなのだ。

 迷った末、作品はいちばんぼくがぼくらしい、枚数も手ごろだと思える、気をてらってない長編作品を持っていって、まあ、とにかく今月中にはもう一度お会いしてくれるらしいんだけれど、Aさんははっきり感想を述べられる方なので、クソみそにいわれることも覚悟しているけれど、もう、出版の見込みはないのは、話した感触で明らかだった。

 最後に、この持ち込みの記事について、矛盾するようなことをいうけれど、持ち込みの電話をすると、「読みますよ」という版元は意外と多いので、「おれのは売れる」と思っている作者は、是非持ち込みを勧めます。述べてきたように、それくらい今出版社は「売れる本」が喉から手が出るくらい欲しいんです。郵送より、手渡しがいい、と思います。一ヶ月連絡がなければ、その社とは切っていい、というのが、ぼくの判断です。

 売れる、と思ってるのであれば、それは売れるでしょう。なにいってんだって? これは現実の話です。

 読書をしない人が極端に減っているわけではないし、図書館や、中古書店など、単に新刊が買われなくなっているだけで、実際出版点数は出版バブルだったときよりも、増えている。とにかく数打てで、なにかが当たればいい、というこの業界はいったいどこへ行こうとしているのか。

 なにが売れるかわからない、って、本当に編集者は口を揃えていうけれど、もし書き手でこの記事を読んでいる人がいるなら、たぶんぼくと同じことを思うと思うんだけれど、なにが売れるかなんてわかるって気がしない? 

 ぼくは自分の本を面白い、といってくれる読者がいる、と確信している。でも、ベストセラー小説にはならないですよ。だって、そういう本じゃないもの。でも、限りなく、そこへ近づける工夫はいくらかできますよ。編集者はなぜ数字を打ち出せないのか。「本物を書け」というけれど、たいてい編集者がいうそれは「経験に裏打ちされたリアリズム」を差しているんであって、つまり作者よりも読者に追従する形になっていっているわけで、本物はフィクションにしかない、というのが作家のリアリティーで、それを失ったら、もう作家ではない。

 作家もダメになっていっていれば、編集者もダメになっていっていて、読者もダメになっていっている、この悪循環。(それを消費と呼ぶなら、小説なんてさらに消費し尽くされればよい)文芸周辺には、もう気概というものは存在していないのかもしれない。世の中はとにかく悪いほうに進んでいる。それを進化というのなら、個人=作家としてのぼくはそれに抵抗するだけの話だ。それが「小説」でしょう。