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フリースタイルの創作日記

創作日記

 編集者に「売れる小説の書き方を教えてやろう」といわれて、なんだろう、と思って聞いたら、「結局いちばん普遍的に売れて、日本人が読んでいるのは新潮文庫の100冊だ、とにかくそれを読め」ということで、毎年顔揃いは変わるんだけれど、とりあえず2016年版で既読のものを数えてみたところ、ちょうど1/4の25冊だった。

 ただこの作家を読んだことがあるけれど、100冊に入っている作品は読んでいない、というものもあったりするので、作家も入れれば、だいたい半分は読んでいる。

 その編集者は大学で文学について教えているんだけれど、「いちばん多くて半分くらい、って子がいた」といっていた。100冊も読む必要はないんじゃないかな。

 最近いろいろあって。

 いろいろあって、ということは、だいたいぼくの場合は、家族か、彼女についてのことなんだけれど、彼女について書こうと思ったんだけれど、やめた。先日はっきりいわれて、ただ傷ついたことがある。「あなたは成功しなければいけなかったんだよ」って。

 これは以前の記事でも書いたことがある出来事だけれど、かつてぼくの友人だった彼は、結婚予定だった婚約者に、結婚したら二度と小説は書かないで欲しい、と約束させられた。婚約が破棄されたのが、直接そのことが原因だったとは思えないけれども、彼はその後もひとり小説を書きつづけ、やがて創作そのものを放棄して、プロ作家になることを諦めてしまった。

 ぼくの彼女は、ぼくが小説を書いていることについて、とやかくなにもいわないので、付き合ってきた。なにかいっていたら、別れていた。たとえばぼくは書いている間、電話が鳴っても出ない。メールの返信はするけれど。あと、これは小説のせい、とはいわないけれども、日々不眠で憂鬱な顔をしているし、週末は美術館に行くから、デート範囲も限られてくる。どこか旅行へ行こう、となったら、ぼくは美術館目当てで行く先を申し出る。金がない三文文士やクリエイターもどきほど、女に嫌われる存在はいない。ぼくはべつに彼女をひきとめたりはしない。ただ必要な存在だし、ぼくの傍にいてくれるのなら、ぼくは感謝する。

 彼女がそんなことをいったのは初めてだった。前にも、べつのやはり女の子に似たようなことをいわれたことがある気がする。「すごい人になるって思ってたのに」と。

 でも、たぶんぼくは成功などしない。能力が足りない、のがいちばん大きいけれども、アーティストのほとんどの人なんて成功なんかしないのは己でわかってるんじゃないかな。そんな足もと観れない人が、客観的に小説なんか書けやしない。

 どうやったら売れる小説が書けるか。たぶんぼくの小説が出版されて、それが売れたら彼女は喜ぶだろう。ぼくはお金には執着心がないから、一億でも、二億でも、印税のぜんぶを彼女にあげてもいい。

 成功しようと思わないからできないんだよ、おれがいうように書きたくないんだろう? っていう人もいたけれど、わからない。でも、ぼくは自分のテーマを煮詰めていって創作行為をしていくことしかできない、と思う。少しずつ売る方向性に努力はできるけどね。結局創作というものが周囲を不幸にしているのだとしたら、やはり創作行為をやめるべきなのか、それとも山の中でもこもって誰とも関係を切るしか方法はないのだろうか。

 創作が彼女を不幸にしているのだとしたら、どうしていいかわからない。

 若い頃はいいんだよ、夢を持つのは。そういうのも、ぼくはわからない。

 小説に限らず、クリエイターは創作しはじめたら、それは死ぬまで関わりつづけるもの。成功もしたくないし、名誉も地位も要らない。金なんかいらねー。