読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

荒野を行く

 ツイッター復活しようかな、と思ってるけど、まあ、どうせまたやめるので、しません。とにかく今窮地に立たされているので、年明けに精神科に予約を入れました笑 とかいいながらも、安定剤を常飲していない日は、ここずっとないんだけどね。

 編集者から連絡が来ないのがキツイ。年賀状出すから、それにちょっと書いてみるけど。以前、「3か月」と決めて、返事を待って、来ないから堪忍袋の緒が切れたんだけど、四か月を過ぎて返事がきた。もう、こっちはキレていたので、「おまえとはやんねえよ」と電話を切った。出版社というところが、どういう歯車で運営がなされているのかまったくわからないのだけれど、とにかく社会的通念が通じない場所だけは確か。

 先月から、3つほどの作品の序盤だけ――400字詰め換算で30枚から60枚くらい――を書いた。それぞれ、十代の軽めの青春恋愛小説、芸術をテーマにした重めの恋愛小説、救済をテーマにした絶望の群像劇小説、と毛肌が違うんだけど、プロットを提出する際に、いっしょに出すつもり。

 やっぱり、どうしても売りたい。ヒットさせたい。これしか考えていない。

 ノワールも書きだした。ぼくはトリック等がある本格や、松本清張的社会派のミステリーは書けないけれども、ノワールなら書けるので、長めのものをやってみようと、とうとう挑戦をはじめた次第。書きはじめたら、これが案外筆は重いけれども面白いので、脱稿することができるかもしれない。読者が面白がるかどうか、その辺は少し研究してみる必要がある、と思う。

 以前、ぼくはセルフパブリッシングで小説をネットで発表していたんだけれども、一年半ほどだったけれども、やってよかった、と思う。読んでくれる人がこれだけいるんだ、ということは、やはり驚きだったし、なにより――自分でいうとバカみたいだけれど――読者の感想を読むと、ぼくの小説は、自分で思っているよりよく書けているらしい。つまり、読者に届いている、とわかったことは、大きかった。ぼくの判断は間違っていない、と確信できた。

 編集者には、形容詞について指摘を受けた。つまるところ、「上手く書こうとしすぎている」ということらしい。もっと下手に書け、ということじゃないんだけどね。ワナビの方なんかは、文章がなんたら、とよくいっているみたいだけど――これは本当に呆れる――、本来読者は上手な文章など、作品には望んでいない。伝わる文章、が重要なのだ。むろんこれは平易だとか、字を開く、だとかを意味しない。形容詞に、小説を少し高い次元に持ち上げるようなもの、さらに説明しようとしすぎて冗長になっている部分が出ていて、それが読者を離れさせるポイントになってやしないか、という憂慮が、ぼくの場合はある。

 来年にはこのブログはない、と思う。誰にもひとつの場所に留まりつづけることは許されないのだ。