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よいお年を。

日常生活

 2013年も、残すところ今日一日となりました。本年度、この相変わらずの過疎っぷりの激しい適当ブログを閲覧してくださった、すべての方にお礼を申し上げます。

 おれ、今年はなにをしてたのかな、と考えると、前半は短篇小説の総仕上げに取り組んでいた、と思います。達成感はほとんどありません。短篇はたまに書いてもいいかな、と思っていますが、ぼくの野望はほとんど長編小説にシフトしています。もともと長編希望なんです。

 セルフパブリッシングも今年やめたんでした。今後またチャレンジする機会もあるかもしれません。陶芸教室にも通いました。拾った猫も元気に生きています。とにかくぼくは生活に追われています笑

 あっ、書き忘れた感じがするので、先日書いたケルテース・イムレの小説『運命ではなく』について、ちょっと書いておきたいことがあるのですが、感想を彼女にしゃべってたんですよ。そうしたら、彼女がいつものごとく、「だから、あなたはダメなんだって」といわれて、強く納得してしまいました。

 どういうことかというと。

 記事に書いたように、イムレは歴史上最も凄惨な歴史的悲劇といわれる「ユダヤ人強制収容所」にも幸福があるのだ、ということを、小説に書いたわけですけれども、ぼくはいくつになってもないものねだりで、自分の悲劇性にうじうじせずにはいられない性格なのです。では、イムレがなぜ、そんな苛酷な状況でも幸福を見出すことができたのか、というと、「現実」を直視したからにほかなりません。詳しくいうなら、それを直視せずにはいられなかったからです。そして、もうひとつ大事なことは、彼がその場所で、自分の心に強く素直に従った、というところにあるとぼくは思います。

 断言しますが、人の幸福とは、誰がどういおうが関係がない、一般論など関係がない、自分の心に素直に従うところに芽生えるものだと思います。来年は、自分は幸福だと思えるようになることが目標です。そのためには強い勇気が必要です。この人生をもっともっと愛そうとするための勇気が。

 あと、文学についても述べておきたいことがあります。

 個人的に、来年は、外国文学をたくさん読みたいとも思っています。いわゆるガイブン=翻訳小説、って、ぼくは大学生の頃いちばん乱読した分野だったんですけれども、はっきりいってよくわからなかったことを告白します。どうしても原書で読みたいと思って挫折した、ということも理由としてあるんですけど、小説はストーリーじゃなく、文章だと思っていたので、あと、映画の影響も強かったと思います。たとえば、ぼくは映画を観るとき、フィルムの艶、みたいなものを観ているので、ストーリーなんかどうでもいいんです。たとえばドストエフスキーとか、当時どれくらい理解していたかは、甚だ怪しい、と思えてきた。最近外国の小説を読んでいると、水を飲むようにぜんぶが体の中に入ってくるから。

 それで、文学やアートなんてなんの役に立つんだ? という議論って、昔からあると思うんですよね、このことについてもいいたいことがあって、たいていは「そういう役に立たないものも人生には大事なんだ」というのが、それへの回答の定型文だったと思いますが、ぼくは真っ向からこの言葉を否定します。文学は人生そのもので、断言しますが、人生にこれほど役立つものはありません。

 たとえば、これから日本の未来は、ますます混迷して、二極化が進み、組織は縮小していくでしょう。そうしたとき「個」がどう「共同体」と関わっていくか、というのは非常に重要な論点で、小説などはまさしくそのことを書いている。イムレの『運命ではなく』など、まったくそうした基本中の基本を土台にした作品構造を持っていて、文学など、哲学よりさらにダイレクトで実践的な、「個」(異端)と「共同体」(一般)との闘争図にほかならないものです。個人的意見としては、できるだけ、外国文学を読んだほうが役に立ちます。日本の小説はどうしても「和」を重んじる傾向があり、「個」が見いだしにくい。1960年代頃が国内では最も小説が読まれた時代だったそうですけど、これはまったくの歴史的錯誤で、あの当時は多くが組織に組み込まれていった時代で、これからは個人が組織から零れていってしまう時代です。今こそ小説が読まれる格好の時期はないでしょう。たとえば時代を切り開く優れた企業家は、優れたクリエイターであることは間違いなく、これからは数は少なくなれど、優秀な人物は小説を読むようになる、と思っています。

 個人的に、今年の最高の収穫だったのは、カーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』でした。読んだばっかり、ということもあると思いますけども、これまで読んだすべての小説の中で、現在ぼくのベスト1になっています。ちなみに日本の小説のベストは漱石の『こころ』。この小説がぼくのベスト1から陥落することは「永劫的」にないでしょう。ぼくは「近代の超克否定主義者」なので、ポストモダン以降の後期漱石否定派たちの風潮にはうんざりしているんです。

 来年は、ドストエフスキーフローベール、マン、カフカ、ウォー、セリーヌ、ミラー、ロス、マルケスリョサ、グラス、クッツェーウェルベックゼーバルト、シモン、ここら辺りは集中的に読み返したいと思ってます(ぜんぶ再読だわ涙)。そのうちこのブログで、ジャンル別のベスト20を、たとえば私家版のベスト映画、ベスト音楽アルバム、ベスト日本画、ベスト西洋画、ベスト日本近代小説、ベスト日本現代小説、ベスト海外小説、でもやりたいです。

 ぼくはあとインプットで足りないかな、と思うのは、ガイブンくらいで、これまで見たかった絵画や映画など、もうこの人生で全部見てしまったし、聞きたかった音楽も、ぜんぶ鑑賞してしまったなあ、としみじみしちゃっています。シーレの「死と乙女」は観てないかなあ。福田平八郎は一回行っただけで大いに不満なんだけども、ゴダールの何作か、オルミの初期作も観ていないのもある。あと、いくつかあるけど、少しくらいはいいかな。でも、福田平八郎だけはなんとかしたいかもしれない笑。あとは実践です。

 ということで、今年もあんまり変わらない2016年だったかも。皆さまにとって、2017年が良い年でありますように。