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ゴールデンウィークあたりで初動します。

日常生活

 なんか前も似たような記事書いた気がするけど。

 今日は小説の話と、これからの話。

 先日の記事で書いたように、ぼくは今編集者に預けてある作品が一個あるので、その連絡を4月までと期日を決めて待つことにしました。渡してから、半年待つ、ということですね。4月の末か、5月の初旬に電話して、曖昧な返事だったら、この件にはけじめをつけようと思います。

 経験上、半年というのはだいたい目安で、それ以降で連絡が来ることはまずないと思います。ぼくが想像しているのは、単行本化はまったく企画にあがっていないけれども、掲載の形で難儀しているのかな、ということです。半年先くらいまで、雑誌だと予定がもう埋まってしまっているんですね。

 今とにかく小説の単行本が売れません。ただ、小説誌が廃刊しているか、というと、そういうわけでもなく、掲載はするが単行本化は見送り、というケースがプロでも多くなってるんですね。そのあいだに時評にとりあげられるとか、業界や読者のあいだで話題になるとかすれば、また単行本化の企画にあがる、という感じ。

 ダメだったら、リトルプレスも考えてますね。マジで、10年後業界がどうなっているか、わからない。こういう試みが増えていくと、いいなあ。短篇は電子でもいいという気がするけど、長編はやはりマテリアルなものとして作りたい。あと、創作自体からも、少しずつ撤退していってもいいかな、とぼくは思ってるんですね。

wakayama.keizai.biz

 ちょっと身の上話をすると。

 もともとぼくは小説家になりたいと思ったことはないんですね。そもそもアウトプット派じゃなくて、完全なインプット派。なぜこれだけ小説家を目指す人が多いのか、自分にはまったくもって本当に謎。性格の問題かな。小さな頃とかも、自分が遊園地で乗り物に乗るよりも、従妹が乗っているのを見ているのが好きだった。バンドやったり、映画も撮っていたし、彫刻もやっていたし、小さな頃はとにかく粘土作りが好きで、粘土を与えておくと、一日中黙々と遊んでいるので、親は手がかかって困るということが一切ない子供だったらしい。通知表の欄には、おとなしい、といつも書かれてあった。それは思春期になってからもずっと同じで、なにかやっていても、自分が創作者になりたい、ましてやプロになりたい、と思ったことはなくて、ぼくのブログを継続して読んでくださっている方はわかるか、と思いますけど、ぼくの育ったのは決して恵まれた家庭環境ではなくて、いろいろあったので、なんか自分でも表現することになっちゃったんですね。インプットだけじゃ、解決できない、と思った。

 小説にしたのはたまたま。ぶっちゃけ、いちばんお金がかからなかったからです。最初は手書きでしたからね、ぼく。パソコンもなかった。百均でノートと鉛筆と消しゴムを買ってきて書いた。図書館に通って、最初は黙々と大江健三郎古井由吉の模写をしていました笑。ふたりの文章が好きだったんです。書きはじめたのも遅く、34歳のときで、プロになるつもりもまったくなく、小山清とかに憧れていましたから、小山清は生涯で50篇ほどの短篇しか書いていません。自分もそれくらいの短篇をコツコツ書いて死のうと思いました。でも、なんとなく最初の長編小説を書いて公募に出したら、本が出てしまって、デビューしてしまったんですね。嬉しい、というより、ヤバいな、という感じでした。でも、最終選考に残りましたよ、と電話が来たときは、やはり嬉しかったですけどね。

 小説を書いている人はわかる、と思うんですけど、なんでもそうだと思いますけど、やっていると上手くなるんですね。書いていると、小説も上手くなってきた。でも、業界の胡散臭さにうんざりして、ぼくは自分からやめた。「やめさせてください」といっても、最初は「ダメだ」といわれた。しょうがなくて、わかったふりをしていたんですけど、対面じゃ絶対話をしてくれないな、と思って、結局電話で、ご迷惑をかけて申し訳ありませんが、やめさせてください、といいました。そのとき連載の予定も決まっていて、担当編集者はふたりいましたから、その御一方のほうは、雑誌の編集長をやっていた方でしたし、とにかく半端ない迷惑をかけた、と思います。でも、イヤだったんです。ぼくはイヤなものはイヤなんです。我儘かもしれないけど。

 それで、今回もずいぶん身勝手な都合で、原稿を読んでくれないか、というのは、確かに、こいつなんだ、という感じでしょうけど、深くは書けないですけど、かなり相手も無茶なことをやっていたのは確かで、そうじゃなきゃ、ぼくもこんな対応しませんよ。喧嘩は両成敗。でも、当時は10割向こうが悪い、とぼくは思っていました。完全にぼくは神経症に罹っていたし、ナイフ持って打ち合わせにいっていて、マジで編集を刺そうと思いました。今でも殺意が消えません。

 でも、やっぱり本は出したいじゃないですか。母親が喜ぶんですよね。姉も。彼女も。とにかく周囲が喜ぶ。ぼくは誰にもなにも与えることができないから。与えることがあるとしたら、本を出すことかなって。そもそも、ぼくが嫌っているのは編集者だけで、出版自体は素晴らしいことだと思っていますから。それで、今回は名指しで編集者の方を指名しましたし、今付き合って下さっている編集の方も、素晴らしい人格者です。威圧感は凄いですけどね笑 ブラック企業といっしょで、ダメな編集者もいれば、ちゃんと読者を考え、書き手の話も聞いてくれる編集もいるのが、実情です。毎年これだけ新人が登場して、残るのが少ないのは、実力の世界だから、というのも大きいですけど、ぼくは多くが担当編集に潰されていっているからだ、と思ってます。芸能界もマネージャーが大事だ、とよくいいますね。

 それで、出版が決まればやりたいこといろいろありますけど、ダメでもいろいろやりたいことが、これからあるんですね、ぼくは。もともと家は商売の血筋で、まあぼくは根っからのブルーカラーでサラリーマンとは無縁の底辺の叩きあげですよ。両親は違いましたけれど。親戚一同は皆商売人です。「おまえもなんかやれ」と若い頃からいわれてましたけど、ぼくは、まあ、文化系のほうにいってしまった、というか。なので、やっぱり商売のほうも本格的にやりたいかな、というのがあります。甥っこは歌舞伎町でしばらくホストやってましたけどね笑 「いっしょにやろう」って。断りましたけどね笑

 自分は何をやろうかな、といろいろ模索していますけれど、できればやっぱりアートに関わる事業をやりたいなあ。けれど、だいたい好きなことを商売にすると、失敗するんで。うちの親戚たちを見ても、そう。確率的にみると、成功率は1/5ですね。5人に4人は失敗している。叔父さんがぼくにいうんだけれど、「日本の稼業は二代つづかない」とも。大変だな。でも、首括った人もいないんでね。このことぼくは小説に書きましたけどね。まあ、自分でもなんかやれるんじゃないかな、と。それが出版することだったら、それをやるし、NOといわれたら、ほかのことをやるだけです。そもそもぼくは生きるのに向いていない。だからといって、死ぬわけにはいかない。

 最近はカウンセリングにも通っていて、毎日ウォーキングのときに、隅田川沿いで、叫んでますよ。「おれがナンバーワンだ! おれの本を出せ!」と泣きながらね。

 ということで、2017年は本が出れば本を書きつづけますし、出なければ、商人の人生設計をたてはじめます。確かに日本は治安がよいし、これだけ経済的にも、福祉、教育の環境も恵まれた国もないと思うけれど、カルチャー的には絶望的に面白くない。韓国や、アメリカはめちゃくちゃですけど、その分カルチャーが優れている。日本以外の国はどんどんカルチャーが面白くなっている。「衣食住足りて文学は忘れられたか?」といった開高健の言葉はやはり正しい。「おまえはこの国にいないで、海外に行くべきだ、そうじゃないと、必ず潰れる」そういってくれた昔の友人は、今いったいどこでなにをしているんだろう。