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陶芸家の岩田義實先生とお会いしてきました

 もっと早くに告知できたらよかったのですが、2017年4月18日まで、日本橋三越の六階にあるアートスクエア美術工芸サロンで「佐賀県陶芸協会展」が催されていまして、佐賀在住の陶芸家たちの作品が、一同ずらりと展示されていました。

 佐賀といえば、誰もが知っているとおり、有田焼、唐津焼、さらに伊万里焼、武雄焼と、陶器の名所なのですが、ほとんどの方は「磁器」とされる有田焼や唐津焼を想像されるでしょう。

 けれどもそんな磁器中心の中で、敢えて「陶芸」を、さらに少し風変わりな陶芸作品を作っている作家がいて、その方が岩田義實という陶芸家です。岩田先生とのなれ初めは、実は当ブログを通して知り合いになった経緯があって、先生から突然メールが来たんです。「あなたの記事を読んだよ」と。ぼくが書いた先生の陶芸作品の記事を、先生が見つけたらしく、言及してくれたことへのお礼の丁寧なメールでした。

 一度お返事をして、またご連絡さしあげようと思っていたのですが、豆ではないぼくはそのきっかけを逃してしまい、いいきっかけだと思い年賀状を出したんですが、返信を頂いて、それで今回東京へ来るから、とお誘いを受けたので、ご挨拶にかけつけたわけです。

 会場で先生の作品を四点鑑賞したあと、場所をカフェに移して、長い時間お話させていただいたんですが、なんと、先生から陶芸作品をプレゼントして頂きました! びっくり。こんなことあるの? 一生の宝物にします。家に帰って改めてじっくり鑑賞して思いましたが、ぼくはやはり先生の作品が好きなんですね。陶芸とは日常で使って、じっくりじっくりと手に馴染んでいくものです。

 

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 おおらかでユーモラスな伝統的工芸に、洗練されエッジの効いたアーティスト性が融合しています。灰の触感が手触りされ、敢えて少し形を歪ませることで、造芸美の味わい深さを出し、釉薬の緑に対し、ブルーのコントラストが絶妙な対比を生み出しています。

 

 たぶん3時間近くはお話させていただいと思うのですが、その中でたくさん勉強させてもらう事柄があったと思います。ぼくは本籍は福岡なんですが、にもかかわらずお隣の佐賀には一度も足を運んだことがなく、その歴史ある陶器の名所がどういうところなのか全然イメージが湧かなかったんですね。実際に先生がどのような意志でもって作品を創作されているのかも、ずっと知りたいと思っていました。

 陶芸って、ちょっと興味ないなあ…という方も、先生の作品を観たなら、印象が180度変わると思います。ぼくもそうでしたから。FBで作品を発表されているので、アカウントをお持ちの方、アートに興味がある方は是非チェックです。

ja-jp.facebook.com

 ちなみに岩田先生は、先達の陶芸にももちろん影響を受けて、「花器」や「湯呑」など、通常の陶芸と呼称される形式に則っているものも作っていますが、オブジェとしかいいようのない作品も作っていたりします。ぼくが出会ったのもそのような作品でした。「形」を表現している、ということで、まさしく抽象美術だと思いました。それも単なる造形としての美しさや面白味ではなく、イマジネーションの溢れる形です。マーク・ロスコや今度国立新美術館で展覧会が催されるアルベルト・ジャコメッティの彫刻等にとてもインスパイアされていて、陶芸と彫刻、伝統とアートとの境界を渡っていくものです。ジャンルを超越し、作品の形式もまた多岐に渡っています。

 ぼくは一目見たときから、いいな、と直感した、つまりこれはアート=自由だということを感じたので、ブログで書いたわけですが、なかなか共感を得ることは、先生の周囲では難しいらしく、数々の栄誉ある受賞をこれまで受けられながら、先生はご自身の経歴には納得しておられないご様子でした。それは同時に、日本の伝統陶芸というものが、いかに保守的なものなのかを表している事態なのだ、ということもうかがい知れました。

 勉強となったと強く思うのは、たとえばぼくの場合ですけれども、明治期以降の近代美術に対してずっと強い疑念があったんですよね。それが核だといってもよいです。岡倉天心らの指導により、西洋画の技法が持て囃されるようになり、日本美術でさえもそれまでのものは「時代遅れ」のものとなり、捨て去られたという歴史があります。

 捨て去られた、まではよしとしましょう。問題なのは、それが「遅れたもの」とされた美意識です。

 新しく「日本画」と呼称され、近代的日本画を追求すべく、絵師たちはこぞって新しい絵画に邁進していきます。

 今こそブームになっていますが、伊藤若冲河鍋暁斎をはじめとする、様々な絵師たちは、そのとき見捨てられたのです。

 ぼくは狩野山雪伊藤若冲長澤芦雪や曽我蕭白らを個人的に発見していって、こっちのほうが凄いんだ、と思うようになっていきました。近代化して、日本の美術が発展した、ということに大きな戸惑いを覚えたのです。仁清・乾山から入って陶芸にも興味を持つようになって、現代陶芸にも魅力を覚えていく過程で、西洋化の波を逃れた日本文化があるじゃないかと胸を一人こじらせてもいたのですが、それはまた逆の側面からの「抑圧」もあるのだな、ということも、先生と話をしていて感じたわけです。

 この苦を、ぼくは漱石をはじめ、鴎外や谷崎など、明治の文豪たちの作品において発見したんです。同じことを思っている人たちがいるんだと。それも時代を超えた、昔の明治の人たちです。岩田先生にはそのような明治時代の知識人たちのものとは違うものでしょうが、先生にも苦慮がある、ということがわかりましたし、ぼくもまたこの現代という時代において、やはり先生ともまた違う意味ですが、苦慮を味わって創作をしています。

 これからのますますのご活躍と健康を切に願っております。長い時間お付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。「本出るといいね」と励まして頂いたりもして、なんでこんなによくしてくれるんだろう、と不思議でなりませんでした。

 とても楽しい時間を過ごさせていただきました。是非一度佐賀に行ってみたいと思います。