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Platonic love Crazy

 なにも取り柄がない人間だと自分のことを思う。ただ人生を振り返ってみると、ひとつだけ人より秀でたものがあったようにも思う。下世話ないいかただけれども、異性にモテた、ということだ。でも、羨望や嫉妬を覚える読者は、どうか安心してほしい。ぼくの場合はモテたといっても、昔流行った「都合のいい女」の男ヴァージョンであり、女の子というのはたいていひとりで淋しいものだから、誰かといっしょにいたい。そういうとき、まあ、この男なら浮気もしそうにないし、優しそうだし、つまり飼いやすいかな、という、いわゆるペット状態である。

 よく、家を出るな、といわれた。彼女たちは、皆ぼくに家にいて欲しいのだ。ぼくが外に出かけると、彼女たちはたいてい泣いた。

 そういうものが「恋」だったのか、といえば、たぶん違っただろう。ただ、中にはぼくのことを、そういうふうに見ていなかった異性もいた。でも、だいたいの場合、そういう大切なことに気づくのには、いつも人は遅いのだ。

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 話は遡って、ぼくが高校生の頃になる。当時同じ高校に通うひとりの下級生の女の子がいた。手紙をもらった。ぼくが文学に親しむようになったのは、実は彼女が原因なのだった。

「へー、本なんか読むんだ、それで何読むの?」というのが、最初の会話だったように記憶している。

 そのとき彼女はたぶんちょっと見下されるような気がしたのだろう、でも、その頃ぼくは本など一冊も読んだことのないクソバカ野郎だったので、なんのためらいもなかった。彼女は自分の思いをはっきり伝えるようにいった。

「よくこの年頃にありがちっていわれそうだけど、太宰とか、はっはっ」

 その心中して死んだ文豪の名前をぼくは知っていたけれど、もちろんクソバカなぼくは著作に触れたことなどなかった。そのとき彼女はぼくより一学年下だったわけだけれど、ずいぶん年上に見えたことを覚えている。ぼくは早速本屋に行った。アホ極まれり。なんとも恥ずかしい話だが、太宰治の、それもいきなり『人間失格』を求めた。部屋のパイプ椅子のベッドに寝転がって読んだ。その人生を変えるかもしれない、と吹聴されている有名な近代作品は、文学に親しんでいないぼくにも確かに一気に読ませるものがあったけれど、どこが面白いのかさっぱりわからず、というより、まったくよくわかって浅い内容だったので、これが文学なのか? と首を傾げざるを得なかった。それでも太宰は読み易かったから、新潮文庫になっているものは全部読んだんだけれども、そのときその他の作家に手を伸ばしてみようと不埒な誘惑に駆られたりしなければ、ぼくは今小説など書いていなかっただろう。太宰の死について書いた文章があるのを知り、ぼくは同じ無頼派坂口安吾の著作を読んでしまったのだ。文学に開眼してしまった。

 さらに、その年、ぼくはたいそう悪いことをして、教師の反感を買って停学処分を受けた。内容は差し控える。とにかくぼくはもうむちゃくちゃやっていたのである。その一週間の謹慎期間のあいだに、ふたつの課題を担任に提出を義務付けられた。内容はなんでもよい、とにかくいいたいことがあるなら言葉にして自分の思いのたけを書いてこい、ということだったから、ひとつは読書感想文にし、ひとつは個人的なレポートを書いたのだけれど、感想文は安吾にしようと決めていたのだが、そのとき隣のクラスの友人がぼくをとても心配してくれて、兄貴の本棚から二冊の書物を引っ張りだしてきてぼくに与えてくれた。「これ、読んで書け」というので、読んでみて、ぼくは再び大きな衝撃を受けてしまったのだ。一冊の本はジャズピアニストの巨匠山下洋輔さんのエッセイで、もう一冊が大江健三郎だったのだ。そしてぼくは大江健三郎にもはまった。ラディゲらのフランスの心理文学、カミュカフカらの実存文学にも触れ、そして高校を卒業する頃には、いっぱしの文学青年になっていたわけだ。ちなみに、そのときもうひとつ謹慎開けに提出したのは「英国の植民地政策」という題のレポートで、内容は労働者階級や移民等についてのもので、担任は「安吾のものも、どちらもとてもおもしろく読んだ」といってくれた。

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 高校時代悪かった、といったけれど、悪い、という意味でいえば、その下級生の女の子のほうが、その反抗性についていえば、よほどひどかったことはいわなければならない。ぼくがいたのはすこぶる田舎レベルがマックスの僻地だったんだけれど、不良たちはオートバイを乗り回すヤンキーで、なぜかぼくは喧嘩を売られなかったけれども、よく他校のあらくれたちと殴り合いの喧嘩をしているような日常で、ただ彼女はその手合いじゃなく、誰よりも制服のスカートの丈を短くし、校則違反になっている化粧品やらも学校に持ちこんで、髪型は黒のストレートだったけれど、それでも皆とはちょっと違った感じ全開なのは、ぼくでもわかった。カソリック系の高校だったので、毎朝礼拝というのがあったんだけれど、それで先生のひとりが十分ほどの説教をするのが慣例で、ある日こんなことが話された。トイレで起こったいじめの事件についだ。集団で先輩の女子生徒たちがひとりの下級生の女子生徒を標的にその髪を鋏で切り刻んだ、というのである。ひでーことしやがるなあ、とぼくは思ったが、まさかそのいじめの被害者が、あの太宰好きの下級生の女の子であることを、そのときぼくはまだ知らなかった。

 書いていて、思いだしたエピソードがある。バンド仲間たちの行きつけの喫茶店で、いつものように屯しているとき、カウンター席に座っていたひとりの女の子――制服ではなく私服だった――が、突然ぼくらのいる(つまり同じようなバンド仲間のクソバカ連中である)テーブルにツカツカやってくると、ですよね? とぼくの名前を告げ、今からこの店の電話からある家に電話をかけるので、出て欲しい、といわれて、電話口に連れていかれたことがあった。なんのことかわ からなかったが、「出りゃいいっつってんだよ」と相手は凄い剣幕で、ヤンキーであり、髪も茶色く、怖かったので、電話に出たのだが、そのとき彼女が傍でいった言葉を覚えている。「泣いているかもしれない」と。ふっと見あげると、ちょうど店のPVで、ポール・ウェラーが映っていた。ぼくが電話に出た相手に、何気なく、ポール・ウェラーが歌ってるけど聞こえるかな、知ってる? というと、ポール・ウェラーが好きだとぺらぺらとしゃべりだし、いったい何事が起こってるのか、わからないまま、それじゃ、とぼくは電話を切った。「話した?」と電話をかけた女の子がいってきたから、「全然普通だったけど、泣くほどポール・ウェラーが好きなの?」といったら、「バカじゃないの?」とそれだけいって、彼女は店を出ていった。電話相手があの下級生のあの子だったとは、このときもやはりぼくはわからなかった。

 それから、えっと、ぼくは彼女とどんなふうに親しくなっていったんだっけ……? いくつか記憶にあるのは、たとえばある日の下校途中に、背後から突然呼び止められ、手紙を突然渡されたことがあった。校門を出てすぐではなかったし、「付けてきたの?」といったら、「たぶんCD屋にいるんだろうな、と思って、前で待ってました、わたし勘だけは働くんです」とケロリといっていた。彼女はぼくといるときはいつも表情が明るかった。バス通りを歩きながら、そのときはかなり長い話をしたと思う。彼女は「将来の夢はなんですか?」とそのときぼくにそんなことを聞いてきた。ぼくはバンドをやっていたので、彼女も音楽にはうるさい性格だったし――これは後ではっきりとわかった――ミュージシャンとでも答えればよかったのだろうが、ぼくはミュージシャンになどになりたい気持ちは微塵もなかった。16歳である。ぼくは「普通にサラリーマンかな」と答えた。そのときの彼女の絶望的な表情といったらなかった。彼女は、しばらくなにか考えこんでいる様子だったが、急にまた明るい表情を取りもどすと、「先輩がどういう道に行こうと構わないんです、ただずっと少年のような人でいて欲しいんです」といった。頭を下げると、スタスタぼくの前から走り去っていった。

 彼女との付き合いは、それからもつづく。ぼくにはその頃本命の同学年の彼女がすでにいて、そもそもその下級生の子が、ぼくになにを求めているのかがまったくよくわからなかったし、付かず離れずというか、忘れた頃にひょっこり現れる、といった感じで、友達なのか、単なる知り合いなのか、とにかくよく手紙をもらったんだけれど、べつに付き合ってほしい、というようなこともそこには書かれておらず、ただ、応援しています、というような文面ばかりが書かれてあり、その後も彼女からは何度手紙をもらっても、たとえば「先輩がいつもつらそうな表情をしていると、わたしもつらいので」とそんなことばかりが多くはやはり綴られてあった。ぼくは生まれつきの重度のうつ病なので、高校時代もその病気全開で、ひどいときは一日保健室で寝ていた。その都度先生がやってきて、「今度またなんか書いて読ませてくれ」というので、次に「大江健三郎論」を書いた。とにかくなんか書いていれば、保健室に寝ていてもいい許可をくれるのだ、とぼくは勝手に決め込んだ。社会に出ても、ダメ人間になってしまったのは、きっとこのときの習慣のせいだ。文章を書いていれば、少なくともある人たちは赦してくれるのだ、と。まあ、友達は学校内でも、外でもたくさんいたから、遊ぶときは遊んだけれど、とにかく生きていることが苦しく、周囲がなぜそんなくだらないことで笑ったり、ふざけたりできるのか謎で、世間が明るく振るまっているように思えるほど、意気消沈したぼくの内面は孤独な暗い穴底に落下していくのだった。もっと黒く染まれ。もっと深く絶望しろ、とぼくは世界を呪った。

 当時ぼくはもっぱら異性と交遊することを好んだ。女性だけが頼みの綱だった。これは今も変わらない。彼女たちに話しかけられると、気が紛れたからである。いいかたがストレートだけれど、これは美人、ブサイク関係がない。ぼくはブサイクの女の子とでも平気で友達になった。ぼくはこのとき「文学」と同時に「異性」を発見したのである。彼女たちといると、うつ病がカラリと晴れた。異性と触れ合うことで、ぼくの病気が解消されたのを知ったときは、人生を救われた気が、本当にした。人生は変われば変わるものだなあ、と思った。小学校時代までは、無口でガリヒョロのぼくは女子たちにはいじめられはしても、好意をもたれることなど一度もなかった。しかし、なにが原因なのか。生きていれば、誰しも転機というのがある。今から思えば、あれはぼくにとって一番大きな転機だったように思う。彼女たちが大人になったということも大きいだろう。そして良薬には副作用がやはり伴う。

 ぼくは物心ついたときから、性に対する極度の嫌悪感があった――これはいじめからの女性嫌悪のせいではなく、荒んだ家庭環境の影響――、女の子と付き合うようになったときも、これが甚大な苦痛をもたらした。ぼくは彼女ができても、肉体関係を上手く保つことができなかった。それが理由で、フラれたことは一度や二度じゃない。なので、やはり肉体関係を上手く保てない子や、或いは「そんなこと気にしないよ」という子とだけ付き合うようにした。ぼくは深い精神性の付き合いを異性に対して求めていたのだ。肉体関係を拒否した。

 これは差別的発言かもしれないけれど、でも、女性の多くは好きな異性とは、肉体関係を、男性より過剰に求めてくるのは事実だ、と経験上思う。男などより、女のほうがよっぽど成熟が早いし、淫らだ。でも、ぼくは彼女らと共に過ごし、話をし、その笑顔を見ていられればよかったのだ。彼女らの多くがそれを理解してくれなかったのは悲しかった。でも、それはぼくの「都合」であって、多くの彼女たちの「都合」とは相容れないものだったのだろう。ぼくはとりわけ当時付き合っていた彼女に大きな失望を覚えた。

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 卒業して、ぼくは大学へ進学するために上京した。不思議なことなのだが、そのあともその下級生の子との関係はつづいたのである。当時まだ携帯電話がなかった時代だったので、もっぱらやりとりは手紙だった。以前、――もう削除したけれど、当ブログで「ぼくが猫を好きになった理由」と題したエッセイを書いたけれど――ぼくが猫好きになった理由はもうひとつあって、これまた要因は、彼女なのである。

 あるとき学校から下宿に帰ってくると、大きなA4サイズの茶封筒がポストに突き刺さっており、開くと、中からは、丁寧に編まれた手製の猫の写真が網羅されたアルバムが出てきた。なんだ、こりゃ、と思った。随分手間暇がかかったものだろう、と思われたもので、単なるフォトブックに写真を仕舞い込んだものではない。それ自体が「作品」になっているようなアートだったのだ。田舎にいた彼女の趣味は写真で、当時大好きな猫を撮影することにとても喜びを見いだしているようだった。

「タイトルはつけないの?」と電話でお礼をいって話をしたときに聞いた記憶がある。その頃詩を書きはじめていたぼくは、その行為にのみ生きることの過剰なる自己満足感と愉楽を覚えていたわけだけれども、詩作そのものよりも、凝ったタイトルをつけることに、ぼくは最も創作の喜びを見出していた。彼女とはその贈り物をもらったその夏に帰省した折、会おう、ということになり、初めてデートらしいデートをすることになるわけなんだけれど、いや、違うな、大学一年のときは別の彼女がいたので、その彼女と別れたあとだ。ひょっとすると、下級生のその子は、ぼくがフリーになるときまでずっと待っていたのかもしれない。ぼくは東京での彼女にとかく配慮をした、というわけではなかったのだけれど――なぜなら彼女とは肉体関係を持っていたから、なんで? といわれると困るけど、まあ、いろいろあって――、結局その約束の日は下級生の子とは何軒かカフェ巡りをして、CDを見て、それで、じゃあ、またね、といって、それだけで別れた。そのときよく覚えていることがあるのだ。

 帰省した折、連絡をください、と電話で彼女がいっていたことである。「今帰ってきたんだよ」と、いわれたとおりぼくが電話をしたら、すると、彼女のほうから「暇な時間ありますか?」と聞いてきた。会おう、といってきたのは、彼女のほうだった。あとから思えば腑に落ちるのだけれど、当時のぼくにとってみれば、彼女がそのときどれだけの強い気持ちで、ぼくにモーションをかけたのかを、知る由もなかった。ぼくと彼女は田舎と東京で300キロは離れた場所にいた。ぼくは子供だった。

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 それから東京へ戻ってから、彼女から時折やってきていた手紙が、嘘みたいにぱたりと途絶えた。彼氏でもできたのかなあ、と他人事みたいに思っていたのだけれど、しばらくして、彼女の気持ちをようやく考えられるようになった頃、ぼくはあのときどれだけ彼女を傷つけたのだろうか、と思わずにはいられないようになった。なお、この手の失敗談なる悔恨の出来事は、ぼくの場合、その一度や二度ではない。彼女たち異性は、たとえば彼氏がいる状況であるにも関わらず、中には、その彼氏がぼくの知人であるにも関わらず、ぼくを誘い、けれども、人間不信を抱き、他人とのコミュニケーションに肉体的な病もまたこじらせているぼくは、よっぽどの精神的な繋がりのある人とでなければ肉体交渉は不可能で、手を出すことなんて一度もなかったし、相変わらず性への嫌悪感は募るばかりだった。彼女たちからの連絡はたいてい途絶える。しかし、それは単にぼくの性癖に依るところだけのものでもないのも明白で、ぼくは彼女たちの慰みものであり、繰り返すように都合のいい男であって、多くの場合彼女たちはそのプライドを傷つけられたに過ぎない。

 ただ、その下級生の彼女の場合は少々違ったといわざるをえないのだ、と思えてならない。そのとき出会ってからは、もう4年以上は経っていた。その下級生の子は、そのときぼくと性的な関係を持ちたかったのは確実だったろうけれど、でも、それはべつに付き合って欲しい、とか両想いになりたいとかではなく、ただ「それまで」から「それ以上」の深い関係になりたい、なにか、が欲しかった話だろう、と思う。でも、それが肉体関係でしか解消できないのだとしたら、人間は悲しい存在だと思う。彼女はそれをどう思っていたのだろう。なにより悲しいのは、それ以外の方法をぼくが想像できなかったことだ。ぼくは基本的にプラトニックな性格の人間であると思う。それを世間では逃避ともいうだろう。セックスだけに限らない、直接的な交渉事に屈折感がある。これは自分の創作する作品にもよく表れていると思う。彼女が屈辱を受け、引き裂かれたのは、同じように彼女の持つピュア=一途にあり、それは彼女がぼくに望んだ「少年の心=ピュア」とはちょっと違うようだけれども、人と人とが関係するとき、それは互いが互いの「閉じられた意識」を超えずにはいられない。彼女はそれをぼくにも越えて欲しいと願ったことは、溜まった彼女の手紙に書かれた言葉を後々読み返していくにつれだんだんわかっていくものがあり、ぼくの手紙を持つ手は震えた。戦慄さえ覚えた。彼女自らはそれを少しずつ歳月を重ねて越えてきたのである。先輩を敵に回し、クラスメートたちを敵に回し、家族を敵に回し、世間なる常識を敵に回し。しかし、ぼくは子供のままだった。ピュアとは狂気の別名である。そこにまで昇華させる気持ちがぼくにはないことをようやく知って、彼女は多大なる幻滅をしたのだ。彼女はあのときぼくといっしょに死にたかったのかもしれない。「殺していいか?」といったら、拒まなかっただろう。

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 ぼくは作家になりたい、と思って来たけれども、この夢はぼくの狂気にまで至る、その勇気のない、自家薬籠したプラトニックのまま、現実味を帯びそうにはなさそうだ、と最近はっきりと自覚しはじめている。でも、それでいいんじゃないだろうか、とも思う。ぼくはこれまで多くの生きる勇気を、文学や映画や美術や音楽 から与えられてきて、感謝の意は絶えない。アーティストとはそのピュアさを狂気にまで至らせていく人物たちだ。そしてその「狂気」が、ぼくを救ってきた。ぼくの場合は、もう彼らの多大なる痕跡に触れただけで死んでいってもいいと今はだんだん思えている。今付き合っている彼女も、ぼくのことをピュアな人だといっている。向上心がある、ともいっているけれど。しかし、本来純粋性とやらは現実と摩擦する際、狂気と紙一重のはずで、ぼくは誰も傷つけたくないし、誰にも傷つけられたくない、という逃げ口上が強すぎる。誠実に生きることは人を傷つけないことだと思って来たが、現実に生きるということは、それを褒め称えたり、信頼してくれる人の期待にもし応えるならば、自ら本当のピュア、つまり血を流す狂気にまで至らなければならない。

 でも、果たして本当にそうだろうか?

 繰り返して、問う。

 本当にそうか?

 疑問の気持ちが首をもたげてこざるを得ないのだ。

 両想いでなくて も、それがプラトニックのものであってもいいじゃないか、と、どこかで思えてならない。ぼくは恋の話をしているのだ。誰もが恋い焦がれたものには相思相愛を望むのは、当然だろう。それが絶たれると知れると、そこから離れていく。ぼくという人間は、なにも成し得ることはできないし、そもそも「成就」することを自ら拒んでいる人間なのだ。ぼくはこのまま偽善に満ちた不純のまま死んでいく。それはぼくが自分の手でたくさんの人たちを傷つけてきた喜ばしい報いでもあるのだろう。その自己懲罰の赦しにも、恋に似たなにかを覚えるのは、やはり間違っているのか。