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0-1の世界の打破

 いわゆる二進法というものがある。ぼくたちが日々使っているスマホやPCや、CDなど、いわゆるデジタルのものは、この二進法を応用して作られている。

 これは「0-1の世界」というもので、これに反して、現実では10進法の世界がある。こっちは周知のとおり、123456と数字が順列する世界のことだ。

 以前ラジオ番組を聴いていたら、デジタルやITとは関係のない所から、突然その話題が飛び出して、興味深かった。それはマキタスポーツさんと、プチ鹿島さんと、サンキュータツオさんがパーソナリティーを務める「東京ポッド許可局」という番組で、ぼくは好きで愛聴しているのだけれど、内容は、ある芸人さんが(名前は失念した、すみません)が、自分はがんばってきたが芸人になることはできなかった、だからこれが最後となる、といって舞台上で話をした、というものだった。

 これに対して、確か鹿島さんが、「そういう博打の世界だと思っていたら、絶対に自分はこの世界に足を踏み入れなかった」と話してらっしゃったのが、ぼくにはすごく印象的で、なぜならぼくもまた創作の世界も、同じように思っていたからだ。博打の世界だと思っていたら、勉強しようなどと思っていなかったよ、って。

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 ぼくがいわゆるデジタルとは真反対にあるような芸事の市場が、二進法の世界だと気づいたのは、最近のことである。成功する人は、いわゆる「上澄み」の人であって、重要なのは、そこにヒエラルキーは存在しない、ということである。それは1か、0か、しかない。ぼくがなかなか創作行為をやめられずに、ずるずるしてしまったのは、その仕組みを把握していなかったせいだと思う。

 極端な話、一流の作家は年収1億もらっても、戦力外の作家は年収0なのだ。自称努力家のぼくにはこれがなかなか納得できなかったのである。

 たとえばある作家がよい作品を書いたとして、その小説は確かによい作品だから読者がいるのもわかるし、賞をもらうのもわかるけれども、まあ、ぼくのだって、その半分くらいはいい線いってるんじゃないか、と思う。だったら、年収5千万もらってもいいんじゃないか、と思うわけだ。けれども芸事の世界は違っていて、上澄みの人たちだけが、すべての甘い蜜を吸い取ってしまって、残りの99%は泥水を吸わされる。

 皮肉なことに、その二進法の申し子であるインターネットで、その0-1の世界を壊せないだろうか、と考えているのが、実は今のぼくの現況で、実際これはネットの世界に留まらない。世界の富を数十人が支配している、とは現在よく聞く話だけれど、たとえば日本に生まれただけで、世界における裕福層の10%に入っているんだ、ということは、日本人なら誰もがとりあえずそれは理解をしておいたほうがいい。そして世界はどんどん苛烈な二進法の世界に向かっている。

 そしてその二進法の世界に対抗するように、現在いろんな人たちが、たとえばひとりで出版社を立ち上げるとか、クラウドファンディングを使ってソーシャルワーク的な企業をするとか、動きが出始めている。

 ぼくは本が好きなので、家にはたくさんの書籍がある。けれど、だいたいは古本である。理由は、欲しい、と思った本は、たいてい本屋さんには置いていないせいだ。

 出版社はどんどん新刊を出し、売れない本は絶版にしていく。先日書店員さんと話をしていて、ぼくが戦後のアメリカ文学を代表するバーナード・マラマッドが大好きなのだ、と話をしていたら、そんなもの読む人専門家じゃない限り誰もいないよ、といわれて、失神しそうになった。

 マラマッドだけじゃない。一時期日本でも流行したラテンアメリカ文学の作家たちの本は悉く絶版だし、福永武彦の小説も以前はこんなに新潮文庫で出ていたんだ、と思って、古本で揃えてみて、愕然とする思いがしたものだ。

 本当は気が付かなかっただけで、ぼくたちは実はずっと前からこの二進法の世界に生きているのだと、さらにこの頃ぼくはいろんな経験を振り返ってみて、そう思うにいたるのだ。生きる、ということはなんなのか、をずっと考えてきて思うけれども、この「二進法」の世界に存在することをしっかり認識しながらも、それを自力で少しでも10進法に変えていくエネルギーを注いでいくことにあるのじゃないだろうか。

 ぼくはいわゆる「意識高い系」みたいなものや、「勝ち組」「負け組」みたいなものが、苦手だ。逆に、誰もがそれぞれよいところを持っている、的な「世界にひとつだけの花」的世界も、なんだか肌になじまない。

 文学なんかをやっていると、「現実」に対しての“虚構”みたいな二項対立を常に考えがちなんだけれど、時代的にも、そうはいっていられない事態になってきたように思える。0-1の世界を打破するために、自分がどう動けばよいか? それはどうネットワークを作るか、ということでもあって、やはりこれは草の根から動き出していくしかないものかもしれない。